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10期塾 募集要項

期間 2017年3月29日~2017年6月14日の水曜日 午後6時半~8時半(3連続講義の翌週は休講)。 講義の予定日は3月29 4月5,12,26日 5月10,17,31日 6月7,14日 場所 早稲田大学本部キャンパス(西早稲田)19号館3階309号室 費用 テキスト・レジュメ代、交流会費として 社会人(初参加)20000円 塾生12000円 学生5000円 問い合わせ・入会申込み先 下記メールもしくはファックスにより①名前 ②住所 ③連絡先(電話番号、メールアドレス) ④受講理由を記載し、ご連絡ください。メールの場合、標題を「早稲田環境塾第10期申込み」としてください。 早稲田大学・早稲田環境学研究所 早稲田環境塾 塾長 原剛 〒169-0051 東京都新宿区西早稲田1-21-1 早大19号館324号室 Tel/fax: 03-5286-1995 E-mail: wasedakankyoujuku.bosyu@gmail.com  

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「新日本の風景」連載リスト

「新日本の風景」連載リスト 主題 掲載日 地名 1 お盆恋しや・・・・・西馬音内 2007. 8. 9 秋田県 羽後町 2 明治百年通り 明日へ続く道 2011.11.15 秋田県 小坂町 3 源氏興亡の舞台 熱海 2010. 5.20 静岡県 熱海市 4 桜花まとう 春の伊豆 2011. 3.10 静岡県 伊豆半島 5 人と自然が織りなす、懐かしい風景 2010.10.21 長野県 飯山市 東日本大震災 原発事故 2011. 3.11 6 心を映す風景 東北の浄土 2011. 7.29 岩手県 平泉町 7 東北で触れる 日本の深淵 2011. 8. … 続きを読む

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「風景が心を耕す」―岩手文化へ、高まる共感

平泉世界遺産の日シンポジウム「平泉―文化としての環境」 基調講演「風景が心を耕す」―岩手文化へ、高まる共感 2015年6月27日 中尊寺本堂 私の風景を発見、そして共感 安達太良山を過ぎ、仙台平野にさしかかると水田景観のかなたから北上山地が車窓に迫る。安達太良の頂に「ほんとうの空」を見つけた光太郎と妻智恵子。そして車窓いっぱいに広がり、けいこ笛田はことごとく<青みけり>(一茶)そのままの景のかなたに、巨熊に倒された熊獲り名人、淵沢小十郎を悼む熊たちが棲む「なめとこ山の熊」(宮沢賢治)の山岳景観が展開する。 宮澤賢治の童話「なめとこ山の熊」の一部です。 熊捕り名人、淵沢小十郎は熊の月の輪をめがけてズドンとやるたびにこう言うのだった。「熊。おれはてまえを憎くて殺したのではねえんだ。おれも商売ならおめえも射たなきゃならねえ。 てめえも熊にうまれたが因果なら、おれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生まれんなよ」 冬のある日、小十郎は大きな熊と対決、頭に一撃をくらう、意識が遠のく小十郎は、遠くでこういう言葉を聞いた。「おお小十郎、おまえを殺すつもりはなかった。」 それから三日目の晩、凍てつき、山頂に伏せた小十郎を囲んで、黒いものがたくさん輪になって集まって、じっと雪に伏したまま動かなかった。 なめとこ山の熊たちは、老いた母と貧しい一家を養うために、熊を撃つが、決して熊を憎んでなく、雪か、花か、見まごう早春の景に見とれる月夜の母子熊の会話に、胸がいっぱいになって身を引く小十郎が大好きだったのだ。 赤黒いごりごりしたおやじで、胸は小さな臼くらいあった。剛毅な小十郎ではあったが、その心眼は熊の体から後光(仏、菩薩の体から発するという光輝)がさすのを見ることができた。 光太郎や賢治の心情を私が思いやるとき、車窓に映える自然景観は、光太郎や賢治の心を読みこんでみる主観交じりの「私の風景」に変化する。 そして「私の風景」はかけがえのないその人の心のよりどころ、精神形成の空間になりうるのです。「なめとこ山の熊」が編纂されている岩波文庫「童話集 風の又三郎」ほか18編」 は1951年の第1刷からすでに90刷になろうとしています。 「なめとこ山の熊」のストーリーに共感し、どれほど多くの人が自然と人の営みに深く思いをいたすことのできたことでしょう。 淵沢小十郎はまごうことのない東北人、北上山地の人間像です。自然や野生の動物たちと交流し合い、他界や土地の神々とも交歓し合うことが出来る「遠野物語」の主人公なのです。「なめとこ山の熊」の風景に私たちがひそかに好感を寄せるのは、そこに日本文化の基層を流れるエートス(精神構造)があり、ゆえに現代の私たちの心を共感で繋いでくれるからではないでしょうか。 そのような特長をもつ地域を社会学では(場所性)という表現をします。トポスが重視されるのはトポスが人間存在を成り立たせる基体として考えられているからです。トポスは風景に表現され, 「精神形成の空間」だからです。ポスターの文に英国の作家ロレンス・ダレルの言葉「人間は遺伝子の表現というより、風景の表現である」を記した理由です。 なぜ「風景」を論じるのか 私は1961年早稲田大学法学部から毎日新聞社東京本社の東京本社へ入社、編集局社会部記者、デスク、科学部部長、論説委員を務め、1998年に早大大学院アジア太平洋研究科の教授に招かれ「環境と持続可能な発展論」「マスメディア論」とゼミナールを10年間担当しました。 2008年に定年退職後、文化としての環境日本学の創成と実践を旗印に、「早稲田環境塾」を創設。早稲田大学を拠点にNGOと2つのフィールド(山形、北海道)それに毎日新聞社とを結び活動してきました。「環境日本学」の背景には私が世界と日本でジャーナリスト、学徒として半世紀の間に対した無数の景観と私の風景が連なっています。 農業基本法が1961年に施行され、翌62年に第一次全国総合開発計画が閣議で了承されました。産業構造を改革し、工業化と都市化を基軸に日本経済が高度成長期に入ろうとしていた61年に毎日新聞の記者になった。 既に産業公害が激発しており、1961年には水俣で胎児性水俣病が発見され、政府を揺るがす社会問題になっていった。三重県四日市コンビナートでは操業開始4年後の1960年に1000人を超す喘息など、呼吸器系公害病患者が発生、四日市第一コンビナートに隣り合う塩浜小学校の生徒達は、「公害に負けない強い体をつくるため」に、工場排煙にかすむ通学路をマスクをつけて登校し、授業に先立ち毎朝乾布摩擦に努めていた。 全国いたるところで海は埋め立てられ工場用地とされ、山岳は観光道路に、森林は多目的林道で切り裂かれ、私の心身を育ててくれた日本列島の自然と風景は瞬く間に無残な破壊を蒙ることに。たまりかねて、環境庁自然保護局の大井道夫参事官を中心に霞が関の若手官僚たちが参加して「風景研究会」が結成され、虎の門の文部省教育会館を拠点に風景を守る活動を開始した。環境庁を担当していた私も加わり、風景を守るキャンペーン報道を意識して行いました。 1975年4月8日から7月22日にかけて、毎日新聞に「私たちの風景」を連載した。書き手に井上靖、東山魁夷、梅原猛、岡部伊都子、中尾佐助。同年毎日新聞から出版された同名の書は帯に「環境破壊は、急激に私たちの美しい風土をむしばみつつある。もう一度この国を、私たちの風景を見直そう、ひたむきな祈りをこめて」と。 どんな場合でも、風景との巡り合いは、ただ一度のことと思わねばならぬ。自然は生きていて、常に変化していくからである。また、それを見る私達自身も、日々、移り変わっていく。生成と衰滅の輪を描き変転してゆく宿命において、自然も私達も同じ根に繋がっている。 花が永遠に咲き、私達も永遠に地上に存在しているなら、両者の巡り合いに何の感動もおこらないであろう。花は散ることによって生命の輝きを示すものである。花を美しいと思う心の底には、お互いの生命を慈し(いつく)み、地上での短い存在の間に巡り合った喜びが、無意識のうちにも、感じられているに違いない。それならば花に限らず名も知らぬ路傍の1本の草でも同じことではないだろうか。」(東山魁夷「一枚の葉」) その前年1974年に有吉佐和子が朝日新聞に「複合汚染」を連載。自然保護憲章が国民会議で採択(平成天皇となる皇太子が宣誓)そういう時代状況でした。 ダライ・ラマインタビュー 大学に転じて7年たった2005年2月末のことです。毎日新聞社の依頼でチベット仏教の「活き仏ダライラマ」14世法王とのインタビューを試みました。 ニューデリーから列車で10時間、カシミールに近い西北インドの街パタンコットへ。万年雪のヒマラヤ山脈ダウラダル山地へ向け、信号機が1つもない道を3時間飛ばすと、標高5000㍍級の山脈が壁となって覆いかぶさってくる。車の登攀力が限界に達した谷間の急斜面に、ダラムサラの町がへばりついている。 1950年、中国に追われチベット・ラサのポタラ宮殿を脱出したチベット仏教の「活き仏」であり、亡命チベット政府の首班(2016年首班を辞任)でもあるダライラマ14世法王の活動拠点である。 インタビューに先だって、亡命政府からダラムサラの要所を廻り、チベット仏教の思想と実践を学ぶよう求められていました。私は5日間ダラムサラに滞在し、20年ぶりという大雪で雪崩が連発するこの地の風景に息詰まる思いで接しました。 毎朝真っ暗闇の奥から怒涛が押し寄せるかのように、地響きを伴った音響がホテルの頑丈な石壁を越して伝わってきた。 音源を確かめようと崖っぷちの凍てついた雪道をそろそろとたどると、岩山の頂に在るダライラマ宮殿の寺院の境内に。 柱だけの吹抜けの大広間で上半身裸の300人近い僧侶が星がまたたくヒマラヤの雪の稜線に向かい、腹の底から発するかのごとき大声量で読経に熱中していた。ダライラマは一人同時刻に、宮殿で沈思沈考の時を過ごすとのこと。 僧侶たちの大群と、ダライラマ師によって共有されている、夜明けのヒマラヤの荘厳極まりない風景に私は深い感動を覚えた。 危機の時代と風景論 … 続きを読む

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危機の時代と風景論

日本の近代化途上、風景論が三度興った。いずれも戦争に関連する危機の時代であった。風景論はその宿命としてナショナリズムを負わされてきた。 ① 志賀重昂「日本風景論」。日清戦争(明治27―28年、1884~85年)が起きて間もない明治27年12月に刊行され、国家意識高揚期の青年に大きな共鳴現象を起こした。 ② 小島烏水「日本山水論」。日露戦争(明治37-38年、1904~05年)のさなか(1905年)の刊行。 ③ 上原敬二「日本風景美論」(昭和16年~20年、1941-1945年)。太平洋戦争ただ中の昭和18年(1943年)6月に刊行。 「風景とは何か」-科学と感覚の風景 志賀重昂の風景論が新鮮にとらえられた理由は、自然とは何か、漠然と考えられていた命題に、明快な答えを日本人として初めて与えた点にある。 A 自然を観察や実験の対象として客観的に見据える、科学的アプローチ B 人間の感覚を使って全体的に把握しようという主観的、経験的なアプローチ 日本人は昔からBの方が得意(西行、芭蕉、山頭火)。欧米人はA(チャールズ・ダーウィン、イザベラ・バード)。 宮沢賢治はAとBを止揚しようとした(第2回青鬼サロン「たぎる 詩魂の軌跡」星寛治の心をたどる参照) 志賀は日本風景の特長を、科学的な面から4つに要約してみせた。 ①気候海流の多変多様 ②水蒸発の多量 ③火山岩の多さ  ④流水の浸食激烈。 さらに感覚的な面から3つの表現を日本の風景に与えた。 ① 瀟洒 すっきりあか抜けている。 ② 美 美しく立派なこと 感覚を刺激して内的快感を呼び起こすもの。 ③ 跌宕(てっとう) 奔放、堂々としていて細事にかかわらない。 日本風景の科学的特長は、繊細巧緻(こまやかにしてたくみ)。地形、地質、植物、気象現象など風景の実態を形づくる要素が、密度高く絡み合って分布している<変化の妙>にある。(参考 大井道夫「風景への挽歌」アンヴィエル社 1978) 東日本大震災、原発メルトダウンと第4の風景論 2011年3月、東日本大震災と大津波、連動した東京電力原発メルトダウン事故によって東北太平洋岸の風景が壊滅し、消去されるのを私たちは目の当たりにした。大津波は水の壁となって土煙を巻き上げ、田畑と集落を蹴散らし、跡形なく消し去った。3・11のあの光景を目にした時、私たちの身のうちから、かけがえのない何ものかが、風景と共に失われていくのを感じなかっただろうか。 巨大な災害に直面した社会では、元あった姿に復帰しようとする「立て直し・復旧」のエネルギーと、新しい規範に基づいて社会を作り変えていこうと試みる「世直し・復興」の動きとがぶつかり、連動していく。文明史的な経験に学ばず、例えば原発再開に見られる「復旧」の動きは、政府、自治体の主導により形をとりつつある。 3・11から6年を経た2017年の現在、日本社会は未だに世直し(復興)の哲学を見出していない。社会がいわば海図なき漂流に陥っているさ中に、第4の風景論が日本人の内面的な欲求として待望されている。第10期塾は、日本の原風景の地を訪れ、文化としての環境思想の原型とその表現としての原風景を探求したい。 何によって第4の風景論は論じられ、その認識は共有されるべきか。それは日本人としてのあなたのルーツ、文化の基層を訪ね、日本人とは何か、アイデンティティ(自己確認)を試み、日本文化に根ざす共感のエネルギーによって、世直しに向かうことから始動すべきではないだろうか。文化としての環境日本学の究極の目的である。 ―人はみな、シメール(注)を負っているごとく、それぞれの郷里、自己形成空間を自分の中に固く守り持ち、それに律せられている。文学者の場合、その作品を深層意識的に決定する独自な“原風景”を魂の中に抱いているのだ。 故郷を持たない、つまり風土豊かな自己形成空間を持たない大都会育ちのぼくはシメールを持っている、つまり強烈な“原風景”を内部に蔵している故郷のある地方出身の文学者たちにながい間絶望的な羨望と嫉妬を感じてきた。島崎藤村の信州馬篭の宿、正宗白鳥の瀬戸内海の『入り江のほとり』、室生犀星の加賀金沢、佐藤春夫の紀州熊野、太宰治の津軽、坂口安吾の新潟から、現代作家でも井上靖の伊豆湯ヶ島、水上勉の裏日本の若狭、井上光晴の佐世保や炭鉱、大江健三郎の愛媛の山中等々にこれらの作家たちは、文学のライト・モチーフともいうべき鮮烈で奥深い”原風景”を持っている。それは旅行者の眺める風土や風景ではなく、自己形成とからみあい血肉化した、深層意識ともいうべき風景なのだ。彼らは絶えずそこにたち還り、そこを原点として作品を書いている。その強固さには到底大都会生まれの文学者は太刀打ちできない。(奥野健男「文学における原風景」集英社 1972) 東京の山の手・恵比須で育った奥野自身は、原っぱの隅っこ・洞窟の幻想を、自己形成の空間 原風景として認識している。 注 シメール 頭が獅子、胴が羊、尾は蛇、口から火を吐くギリシャ神話の怪獣 詩人ボードレールは散文詩「パリの憂鬱」(「おのがじしシメールを」)に「彼らはめいめいその背中に、巨大なシメールを負っていた」と記した。(秋山晴夫訳「パリの憂鬱」筑摩書房 世界文学体系38 1959)

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10期早稲田環境塾第「原風景への旅」目的といきさつ

ダライ・ラマへのインタビューと東日本大震災 早稲田環境塾第10期の課題を「原風景への旅―文化としての環境日本学の探求」と定めた。2007年8月9日から毎日新聞朝刊に1頁大でのべ30回連載中のルポルタージュ「新日本の風景」をテキストとした。(2015年 日本新聞協会広告賞受賞) 東北、北陸、関東の各地に日本文化の基層、及び日本人の環境意識と自然観を映していると思われる自然と人の営みを求めた。 取材の動機の第1は、厳冬のインドヒマラヤ山地ダラムサラムでのダライ・ラマ14世へのインタビュー(2007年2月)とチベット仏教僧群の暁の祈りの光景である。その経緯は中尊寺での原塾長の講演「風景が心を耕す」(「講義を理解するために」に収録)に記した。 2011年3月、連載の最中に東日本大震災と連動した東京電力福島原発のメルトダウン事故が発生した。この時の日本人、地域社会の意識と行動の原型が、特徴のあるその風景の現場から露呈してきた。 精神形成の空間としての原風景 「特徴ある風景」とは、奥野健男がその著書「文学における原風景」(集英社 1972)で規定した「自己形成とからみ合い、血肉化した、深層意識」を思わせる風景である。このような問題意識から「新日本の風景」は原風景の探求に向かわざるを得なかった。 3月に開講する第10期早稲田環境塾では、30カ所のフィールドから8つの現場を紹介する。 抜粋篇では連載番号12の「イザベラバード、感動の旅」と同11の「朱鷺・文化の舞」を例示した。目次に10期塾の講義が対象とする8か所と全取材箇所名を新聞連載順に記した。 文化としての環境日本学の探求 10期塾は2008年の塾発足このかた、10年間におよそ150回開催された塾の講義と2つの実践プロジェクトの成果に支えられている。第1に、有機無農薬農法と生産者・消費者提携の原点である山形県高畠町のたかはた共生塾との協働作業、第2に北海道有数の鮭川、そして日本一の酪農地帯である西別川流域(標茶、別海、弟子屈町)で「虹別コロカムイの会」の「シマフクロウ100年の森作り」への参加から学んだ文化としての環境日本学の可能性への展望に支えられている。特別な構成のため、原剛早稲田環境塾塾長と佐藤充男カメラマンの現場取材者が講師を勤める。 連載は記事を原剛塾長、写真を塾生の佐藤カメラマンが担当した。テキスト作成に当たり、版権の関連から毎日新聞とJR東日本に協力いただいた。感謝申し上げる。

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塾叢書・研究資料

塾は藤原書店から叢書 文化としての「環境日本学」を出版している。 早稲田環境学研究所からは講義概要、資料を刊行している。   叢書第1巻 「高畠学」―農からの地域自治 主要目次 ◇有機無農薬農法がもたらしたもの(農政との関連で)………原剛(早稲田環境塾長) 時代潮流から「高畠」を読む 高畠の場所性 ◇地域づくりの精神 新しい田園文化社会を求めて(有機農業の展開を軸に)………星寛治(農民・詩人、高畠町元 教育委員長) まほろばの里・草木塔考………遠藤周次(有機の里・さんさんマ ネージャ―) 生産者と消費者が共に生きる関係―「提携」………中川信行(たかはた共生塾塾長) 有機栽培の意義と役割………渡辺務(高畠町有機農業提携センター代表) 「複合汚染」から地域づくりへ………佐藤治一(NPO法人カタクリの会  代表) 農業から健康を考える食の将来ビジョン………菊地良一(上和田有機米生産組合顧問) 文化としての蛍の光、カジカ蛙の声………島津憲一(ゲジボタルとカジカ蛙愛護会会長) 耕す教育現場からの発見………伊澤良治(二井宿小学校前校長) 野の復権(星寛治の世界)………吉川成美(早稲田環境塾プグラムオフィサー) ◇高畠から未来へ(塾生所感) 実感を持つために、観念の世界から飛び出す………加藤鐵夫(林野庁元長官) (経済合理性を超えた価値観の創造を) 新たな内発的発展の起点を創ろう………吉原祥子(東京財団研究員兼政策プロデューサー) (伝統的思想を結び直して) 西欧思想への純化の過程と離反の前兆………加藤和正(システィックエナジー研究所代表) (宗教的自然観の教えるところ)   叢書第2巻 京都環境学―エコロジーと宗教性 主要目次 草木成仏を考える………杉谷義純(大正大学理事長・寛永寺  圓珠院住職・天台宗宗機顧問) 宗教における自然………菅原信海(妙法院門跡門主) 共に生かされている命を感じて………設楽香仁(鞍馬寺貫主) 日本人の宗教心………梶田真章(法然院貫主) 環境と神道―(糺の森のもの語る)………嵯峨井 建(下鴨神社禰宜) 神道の教義に内在する環境保護思想………高井和大(貴船神社宮司) 因陀羅網(インドラ網)の歴史と現代への意義………丸山弘子(早稲田環境塾講師)   水俣から京都へ 水俣、不知火海のほとりから………吉川成美(早稲田環境学研究所講師) 「文明の革命」を待ち望むー「本願」とは何か………緒方正人(漁師) 空しさを、礼拝するわれら………石牟礼道子(作家・詩人) … 続きを読む

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第1-8期塾の内容

早稲田環境塾は2008年から2015年にかけ、8期にわたる塾を開催した。並行して社会の各セクターとの協働により、多くの実践プロジェクトを試みてきた。2015年9月現在までの塾の全容を細部にわたり明らかにする。(講師の肩書、地名などは講演当時) 第1期塾 環境日本学を創成する (2008年11月17日~2009年3月13日) 第1講座 環境とは何か、地域社会から実証する 第1講「自然・人間・文化環境を統合する」 原剛(早稲田環境塾塾長) 第2講 山形県高畠町上和田合宿 (たかはた共生塾民俗資料館)   「有機無農薬農業は地域と日本社会に何をもたらしたか」 星寛治(農民詩人、高畠共生塾塾長 稲作、リンゴ専業農家)   第2講座 産業公害史、大企業の軌跡と未来 第1講「産業公害と社会の変容」 原剛(早稲田環境塾塾長) 第2講「東京電力による大気汚染自主規制の時代相」 小林料(東京電力元立地環境本部副本部長・理事) 第3講「トヨタ自動車のモノづくりと21世紀へのイノベーション」 渡邊浩之(トヨタ自動車技監)   第3講座 水俣病 過去、現在、未来 第1講「水俣病とは何か、日本社会変容の原点として」 原剛(早稲田環境塾塾長) 第2講「なぜ私は水俣病を語り継ぐのか」 杉本雄(水俣市在住の漁師患者、語り部) 第3講「全国に広がる『水俣地域学』の背景」 吉本哲郎(地元学ネットワーク主宰 元水俣病資料館館長)   第4講座 環境ボランティアの思想と行動 第1講「地域とつながる環境ボランティア」 高野孝子(NGO法人エコプラス代表 早大平山郁夫ボランティアセンター 准教授) 第2講 「京都を変える『環境市民』」 杉本育生 (環境市民センター代表) 第3講「地域に広がる菜の花プロジェクト」 藤井絢子(滋賀県環境生活協同組合理事長) 第5講座 … 続きを読む

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早稲田環境塾の歩み

2008年~2015年9月 2015年10月11日 ひろすけ祭り+たかはた共生塾プロジェクト共催「有吉佐和子「複合汚染」その後、そして未来」の集いが作家有吉佐和子没後30年を経て、故人の娘で作家の有吉玉青大阪芸術大学教授を迎えて、浜田広介記念館ひろすけホールで催された。 第1部 山形県立高畠総合高校3年生による「私の好きな風景―ふるさとCM製作、上映会」(映像指導 映画監督 船橋淳)、コンテスト。 第2部 講演と対談 「1974年『複合汚染』の衝撃」 原剛 早稲田環境塾塾長、毎日新聞客員編集委員、たかはた共生プロジェクト共同代表 「有吉佐和子さんの素顔―その交流のひとひらから」 星寛治 たかはた共生プロジェクト共同代表 対談 「『複合汚染』地域に今何が起きているか」 船橋淳 星寛治 原剛 コメント 有吉玉青  司会 吉川成美(早稲田環境学研究所次席研究員) ひろすけ祭りとの連動は、2013年の第7期塾第3講「早稲田環境塾公開講座」(高畠町後援)に続く試み。今回もひろすけホールは、多くの入場者で賑わった。 2015年9月7~9日 北海道標茶町虹別コロカムイの会と協働作業・アイヌ及び根釧原野開拓団のリーダーたちへのインタビュー、植林地視察(原、吉川、礒貝参加)。 「第2回虹別川バイカモ保護対策研修会及び情報交換会」(親和会館) 菊池俊一山形大教授が「2015年5月における西別川バイカモの生育状況」を報告。流水量の減少と鹿、野鳥の食害で上流のバイカモが危機的な状況にあることが紹介された。 第2青鬼農園の青菜種まき(2015年9月5日) 2015年9月4、5日 高畠共生塾生産者・消費者交流会開催、有機栽培の水田と果樹園を見学。青鬼クラブ第2農園(約300平方㍍)を、学校農園指導委員渡辺宗雄さんの指導で耕し、川端、石井、奥貫、原会員らが青菜(セイサイ)の種まき、白菜苗の定植、ジャガイモ掘りに汗を流した。 20015年9月1日 修学旅行で東京を訪れた高畠町立高畠第三中学校2年生42名が、たかはた共生塾プロジェクトの一環として、毎日新聞社東京本社、パレスサイドビルで農産物の販売実習を行った。自分たちが育てたジャガイモ、エダマメ、カボチャを並べて「高畠の安心、安全な野菜です」と呼びかけた。段ボール14箱分の農産物は20分余で完売。生徒たちは感謝の気持ちを込めて「MY OWN ROAD」」「故郷」など3曲を合唱した。見守る大勢人々から盛大な拍手が贈られた。 一方青鬼サロンでは、神奈川県立総合高校の教師を勤めた川井陽一湘南高校元校長(北里大教授)と星寛治たかはた共生プロジェクト共同代表が「土と心『耕す教育』」を課題に講義、対談を行った。(9月21日毎日新聞朝刊「水と緑の地球環境」のページに明珍美紀記者の特集記事「農を通し、耕す教育実践」が掲載された)。   2015年8月3日~9日 早稲田大学とイオン環境財団が共催、広くアジアの環境人材の養成を試みる「アジア学生環境プラットホーム」のベトナムでのフィールドワークに早稲田環境学研究所が参加し、吉川成美次席研究員がプログラムを作成、学生の指導にあたった。早稲田、高麗、清華、ベトナム国家大学ハノイ校、マラヤ、王立プノンペン国立大学の6大学から学生、教授80人が参加、「生物多様性と人」をテーマにベトナムのハロン湾などで研究を試みた。 2015年4月11日 たかはた共生塾プロジェクトの星寛治共同代表が、東京三番町の上廣倫理財団「UFホール」で満員の聴衆を集め『わが師宮沢賢治と浜田広介』と題して70分講演した。講演はNHK第2放送番組「文化講演会」で放送され大きな反響を呼んだ。 2014年8月8日 都市と農村の創造的な交流を試みる「たかはた共生塾」による青鬼農園が、8月8日開設された。奥羽山脈の直下、「熊出没注意!」ののぼりがはためく山形県置賜郡高畠町上和田の「たかはた文庫」「ゆうきの里さんさん」に隣接する約2700平方㍍の休耕地。青鬼クラブ会員・ゆうきの里さんさん管理組合長佐藤治一さんが重機3台をフルに使いソバ畑に一変させた。 農園は奥羽山脈からの伏流水が噴き出す砂川河畔にあり、砂礫層土壌で水はけがよい。柳とハンノキの河畔林をまとったソバ栽培の適地だ。田んぼなら米が20俵近く採れる本格的な規模。10月20頃収穫、ソバ打ちパーティへ。 2014年9月23,24日 企業人、学者、20名の限定参加による比叡山合宿「日本文化の古層 仏教(神仏習合)と環境思想の研究会」―千日回峰(比叡山延暦寺)と修験道(聖護院)による実践をとおして、を開催した。 ・「千日回峰にみる”自然と人間“の思想と実践」 ・講師 上原行照阿闍梨(比叡山延暦寺―山伊崎寺住職) ・「最澄に由来する修行道場、比叡山森の歴史」講師 小堀光實執行(比叡山延暦寺) ・「山伏,“修験と環境”を語る」講師 宮城泰年門主(聖護院門跡) ・「日本の”kami”3類型と神仏習合」―神話、アニミズム、祖先神 講師 丸山弘子(早稲田環境塾講師) 延暦寺根本中堂、最澄由来の「永遠の法灯」の下で朝の勤行に参加。比叡山管理部磯村良民師の案内で千日回峰の道の一部をたどった。 … 続きを読む

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たかはた共生プロジェクト

プロジェクトに到る経緯 有機無農薬農法と生産者、消費者提携の原点、高畠町有機農業研究会[1973年発足]の活動を起点に、持続可能な地域社会の原型(proto-type)を学ぶため、早稲田環境塾の前身である早稲田大学大学院アジア太平洋研究科「環境と持続可能な発展ゼミ」(1998~2008)のフィールドワークを引き継いで活動している。 毎日新聞の戦後50年特集社説(1994年8月8日付)「宮澤賢治の理想を求め」―まほろばの里に共生する農」(筆者は原剛論説委員、現早稲田環境塾長)に始まり、日中環境ジャーナリストNGO交流シンポジウム(2008年)、日中韓環境ジャーナリスト・NGO交流シンポジウム(2009年)などの高畠での開催、フィールドワークを経て、早稲田環境塾に到る間、有機農研から展開した高畠共生塾員たちとの交流を継続してきた(2008~2015)。この間,相当数の早稲田環境塾の塾生が、援農作業をともなうたかはた共生塾の「まほろば農学校」へ参加した。 キーパーソン星寛治氏に代表される有機無農薬農法の実践とその試みを支えた生産者・消費者提携から、食と農、地域社会ひいては日本社会の持続可能な原型像への手掛かりをつかみ、和田集落を中心とするたかはた共生塾の活動との協働をとおして持続可能な地域社会の原型を塾は探求してきた。 たかはた共生塾の歴史的な意義と課題 高畠有機農業研究会の青年たちの無農薬農法は、当初高価な農機具購入のための出稼ぎを拒否する自給農業への試みにあった。同時に有機農法の祖、一楽照雄の直接指導を受け、高度成長経済の農業版政策、農業基本法農政(農地の規模拡大ともうかる作目への転換、化学肥料、農薬の多投による単収増)とは真逆を指向する、いわば反近代農法の反旗を翻す結果となった。全国総合開発計画政策下で産業公害 (四大公害、都市の光化学スモッグ、農村の土壌、作物の農薬汚染など) が激発する世相に対抗することとなり、作家有吉佐和子の「複合汚染」(1974年朝日新聞朝刊連載)により、その取材現場である有機農研の試みは時代の脚光を浴びる。 技術や資本を外部から導入する途上国型の「外来型社会発展」に対し、たかはた共生塾は伝統文化に改革を重ね、経済発展を手段とし、人間の成長を目的とするヨーロッパ型の「内発的社会発展」を指向することになる。明治44年(1911年)、和歌山市での夏目漱石の講演「現代日本の開化」(「内発的発展と外発的発展」)に連なる問題意識である。高畠出身の経済学者、早大教授大塚勝夫は、生家の土地と家屋を提供、内発的発展教育を目指すセミナーハウス「屋代村塾」(1994年)を創設し、多くの学生を教育してきた。 原発風評被害の克復と新たな生消提携へ 2011年3月東日本大震災と東電原発メルトダウン事故とが連動して発生した。 奥羽山脈で原発から85㌔隔たった高畠へ、隣接する汚染ホットスポットの福島市から約500人が避難、2015年9月現在なお100余名がとどまっている。たかはた共生塾の農民たちは放射性物質による農産物の、風評被害により、40年余にわたる都市民との生消提携関係を破壊された。 この事態に直面し、高畠の農家と早稲田環境塾が協働する「たかはた共生プロジェクト」(共同代表 高畠:星寛治・東京:原剛、共同副代表 高畠:中川信幸・東京:吉川成美)は、2013年4月から風評被害の克服と新たな形の生消提携を目指す「青鬼クラブ」を発足させた。皇居堀端の毎日新聞東京本社「毎日メディアカフェ」で高畠の四季の農産物を即売し、並行して開催される食と農の言論空間、「青鬼サロン」を開催している。https://www.facebook.com/aoonisalon 新聞社からネット発信している。http://mainichimediacafe.jp/news/77/ 「たかはた共生プロジェクト」は2015年4月から、トヨタ財団の「未来の担い手と創造する新しいコミュニティプログラム」の助成を得て活動の幅を広げている。 その核心は自然、人間、文化の環境3要素を結び合わせ、農業者、都市民の協働により持続可能な地域社会の発展モデルを探究することである。 立教大学経済学部(吉川ゼミ生)との討論      

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Topos(場所性)とEtos(精神構造)の研究

早稲田環境塾の目的は、「文化としての環境日本学」の理論と実践モデルを、現場から探求することである。 「たかはた共生塾プロジェクト」と「シマフクロウと河畔林プロジェクト」との関連で、塾は両地域社会と住民の環境行動の基層を成すToposとEthosに注目している。 文化は普遍、技術的な性格を持つ文明と異なり、歴史、民族の個性に培われ、固有の形態、価値を持つ。縄文文化と弥生文化による原初のカミ(神)の概念、後発の外来仏教と神仏習合の歴史を日本文化は基層としてきた。意識、無意識の領域で、今も私達の生活流儀は、神仏混淆の基層文化に拠ることが少なくない。文化は人々の共感を生み、支える。建前と本音の乖離が指摘されている日本人の環境行動の矛盾を「日本文化としての環境」への自覚・気付きと共感とによって、自然な、自主的な「自ら転がり出ずる玉」ような環境行動へ、私達が自発的に向かう契機とすることはできないだろうか。 早稲田環境塾による京都合宿の目的は、文化の表現である現代の自然保護、環境行政制度、環境法思想への継承の原点となる思想と感性を、京都1200年の聖域での営みから見出すことができるのではないか、との仮説を検証することにある。(塾講義一覧の第1期、4期塾参照) トポスとはある問題についての論点や考え方が蓄積されているところを指している。現在トポスが新しく重要な意味を持っているのは、トポスが人間存在をなり立たせる基体として考えられるようになったからである。(『社会学辞典』 弘文社) エトスとは人間の社会行動のゆくえを、その内部から規制する観念の束であるが、「こうすべきである」というような当為的な論理規範ではなく、むしろ本人の自覚し得ない、あるいは自覚することのない規範である。さらにそれは、単一の個人の内部だけに浸透するものではなく、何らかの集合体や社会階層のうちに共有されたものであるともいえる。(『社会学小辞典』 有斐閣). 文化としての環境日本学(environmental japanology)を考察する際に 環境の思想と行動におけるトポスとエトスの作用を現場から探求していきたい。 祈りの里 高畠の心 山体そのものが「神」とされる飯豊、朝日、蔵王、吾妻連山にかこまれた高畠は、名高い高畠石に信仰心を刻み、神社と仏閣、無数の祠に囲まれた「祈りの里」である。なかでも天台宗本覚思想に由来する「山川草木悉皆成仏」の思想に基づく草木塔が、全国一の密度で道野の辺に散在している。その意味は、一木一草の中に神(霊)を見た土着の思想を今に残す証とされている。 48名の20才代農民たちは、化学肥料、農薬を多投する近代農法に生命の危機を感じ、「あらゆる命と優しくかかわっていく」星寛治リーダーの思想に共鳴、1973年、有機無農薬稲作りに転換、後に800戸を超える農家が加わる有機農業提携センターに発展する。町は2008年「たかはた食と農のまちづくり条」を制定、遺伝子組み換え作物の栽培規制し、環境と共生する循環型の農業を支援している。 7月に入ると里山の田んぼにヘイケボタル、ゲンジボタルが飛び交い、川では「キュルルルー」とカジカガエルが涼しげに鳴く。蛍の灯は、41年に及ぶ有機無(減)農薬農法で大地に命がよみがえったことを伝える自然界からのシグナルだ。82年星さんは町の教育委員長に推され、全ての小、中学校に田んぼと畑を配し、「耕す教育」を始めた。志は今もしっかり受け継がれている。 アイヌの神の復活へ 他方シマフクロウは、コタンコロカムイ即ちアイヌ集落の守り神である。虹別コロカムイの会に参加した酪農家たちは、アイヌの生活圏であった根釧原野での営農に失敗、そこから脱出するすべもなく、辛酸を極めた体験の持ち主である。北辺フロンティアの人々は、その後継者たちは行政に頼ることなく、「シマフクロウ100年の森づくり」に自力で尽力し、サケマス養殖場内に飛来するシマフクロウを追い払うことなく、20年間自由に魚を捕獲させている。いのちを支えてくれる生き物たちへのアイヌの感謝の祭りイオマンテで、最上位神とされるシマフクロウはヒグマ、丹頂鶴とならび、縄文狩猟民族の神への畏れが生命あるものへの共感の象徴であろう。過酷な自然環境に暮らす命ある者同士が、自然との共生に共感を抱く。文化としての環境思想の蘇りを思わせる。北辺フロンティアでのトポスとエートスの表現ではないだろうか。 塾が協働する2つのプロジェクトは、いずれも農業、漁業の量から質への生産の転換と大自然の循環に連なる持続可能な良質な食の生産をめざしている。文化としての環境の蘇生への共感、トポスとエートスへの気付きの兆しではないだろうか。 毎年5月西別川の河畔で行われている植樹祭には町立標茶小、中学生が正規授業の一環として参加している。2017年5月に行われた植樹祭にはOBの高校生ら約30名も加わっていた。 虹別コロカムイの会員大橋勝彦さんは、西別川水源に近い森の奥に鱒の養魚場を経営している。四季を通して夜毎シマフクロウが採餌に現れる。「ボーボー、ウー」夜の静寂を突き破るように野太い声が響き渡る。「ボーボー」という雄の呼びかけに、雌が間髪をいれずに「ウー」と答える。シマフクロウの鳴き交わしだ。 全北海道に生息する140羽のシマフクロウのうち、この21年間でおよそ33羽がコロカムイの会の給餌、巣箱かけなどの助力で誕生したとみられる。  

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