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日本人の自然愛は虚妄か

第10期早稲田環境塾7講 「三春の滝桜」資料 自然愛と自然破壊の仮説とモデル 仮説1 自然愛喪失説 自然愛と自然保護思想とは正の比例関係にある。国民が自然を愛すれば、それだけ国土の自然は守られる。日本人は昔、自然を愛していたが、いつ頃からか、それを愛さなくなった。だから、現代の自然破壊が引き起こされた。 仮説2 自然愛否定説 日本人は昔から自然を愛してはこなかった。そして現代にいたってもそれを愛していない。だから,自然破壊は当然の帰結である。 仮説1のモデル 文部省主催 文明懇談会(1976~77)で、文芸評論家山本健吉は次のように指摘している。 古代人が持っていたアニミズムとマナイズムの均衡が崩れたためである。 アミニズムとは自然の中に霊魂を見ることであり、どちらかと言えば、人間と自然との親密感をあらわすものである。マナイズムとは自然の中に超自然的な威力を感じることであり、それは自然に対する人間の畏怖の念をあらわすものである。古代日本人はこの両者をもっていたが、時代の経過とともにそれらを失ってきた。特に明治以後、欧米文化が移入されると、それらは迷信として排斥されるようになった。だが、むしろそれは日本人が古来生きるための大変な知恵じゃなかったか、そういう考え方が、(中略)人間の生活を快適に送らせてくれたんじゃないか。そういうプラスの面を考えてもいいんじゃないか。 「文明懇談会」での朝永一郎氏の意見。「山本健吉氏のマナイズムとアニミズムの指摘に『自然科学の知識』の作用を加えたい」―日本人は自然科学的な知識に対する恐れ、罪の意識が全然ない。自然科学の生まれた西欧諸国は自然と人間は対立するものと考えてきた。ヨーロッパで、自然破壊があってもおかしくないが、ついに日本のようなところでそれが出て来たというのは、ヨーロッパでは、自然破壊に対する抑制がある意味で罪の意識からあったのではないか。日本人の方には人間と自然の対立がなかったので、それまで全く馴染みのなかった科学というものが西欧から入ってきたときにかえってのんきにそれが飛びつき利用しようとしてこういう破壊をもたらしたのではないか。 仮説2のモデル 記紀歌謡が著しく人間中心的な傾向をもっているのに、万葉集では叙景歌が多くなる。それは、万葉人が自然愛を持っていたからではなく、そこには中国文化の影響があったからである。古今集の歌には花や鳥の名前があまり出てこない。「古今集」の歌人たちは、鳥が好きだったんじゃなくて、ウグイスが好きだった。極端に言えば、まさに言霊であって、ウグイスの鳥ではなくて、ウグイスという言葉が好きだった。それはいわば、文学愛とでも呼べるようなものであった。(加藤周一「日本文学における土着性と自然観」) 筑波常治早大教授は雑誌「青と緑」への寄稿「自然保護の先駆者たち」(1972年10月号)の冒頭で、日本の歴史の中から自然保護の先駆者を探し出すことは、ほとんど不可能のであると述べている。なぜなら、日本人は昔から自然を保護しようというような意識など持ち合わせていなかったからである。その理由は、わが国の恵まれた自然にこそ求められる。自然が恵まれておれば、人間はその中でその思想を素直に受け入れておればよいわけである。積極的に人手を入れて保護する必要がなかったのである。それにひきかえ、ヨーロッパの自然は厳しかった。それゆえに、自然に人間が対決するという西欧文明が生まれた。そしてその西欧文明においてこそ、自然を管理するという自然保護思想が誕生したのである。 大井道夫氏の考え 私は「自然保護不毛説」が最も正鵠を得たものではなかろうかと考えたい。少なくとも、日本人の自然愛やアニミズムは、決して自然保護思想とは繋がるものではないと思いたい。日本人は自然愛を持っていたかも知れないが、江戸時代においても、それは決して自然破壊を糾弾する思想には転化されなかった。いや、江戸時代だけではない。明治から大正、昭和にかけても、ついこの間まで、自然破壊を糾弾する思想などは、かけらほども日本人はもたなかったのである。その意味では、日本人の自然愛は虚妄のそれにしかすぎなかったのだ。 日本人は自然保護思想をもってはいなかった。それはなぜであろうか。日本人の古い自然観がむしろ、それを育てることを拒んできたからである、と私は考えたい。日本人の自然愛と言っても、またアニミズムと言っても、それは自然への日本人の感性的な反応にほかならなかった。このような感性的な自然把握の仕方が、自然保護思想の定立を妨げてきたのである。こう考えると、言語同断な自然破壊の現状からの離脱はもはや明瞭であろう。それは決して古い自然観への回帰することによって達成できるものではなく、合理精神を育て、科学を進展させることによって、更にそのカウンター・パートとしての罪の意識を育てることによってのみ達成されるのである。 原塾長コメント 日本人の自然観の解明と新たな展開とを課題とする「文明懇談会」(1976年~77年)での討論には、自然、社会、人文各分野を代表する人たちが参加していた。 高度成長経済政策が環境破壊によって限界をあらわにした時代を背景にこの会合が行われた。従ってその後環境、自然保護政策が世論と市民運動に押されて統合され、社会の規範とされていった現象が、これらの所論には充分には反映されていない。多くの欠陥、矛盾を内包してはいるが、その後の日本人と社会の自然観には激烈な自然破壊の果てに、朝永が指摘している「科学性と科学の罪への意識」らしき認識が反映されるようになった。 (原発再稼働に示されるように、中途半端ではある。)環境影響評価法、自然生態系保護関連法など、法律は社会の文化の表現である。文化を共有する社会でこそ法益は実現される。日本人とその社会ではその自然への愛が、依然として虚妄であり続けるのか、「否」とすべく、私たちは様々な努力を試みている過程にある。 大井が指摘する日本人の自然観 「気候は温和である。山川は秀麗である、花紅葉四季折々の風景は誠にうつくしい。かういう国土の住民が現生活に執着するのは自然である。四囲の風光客観的にわれらの前には横はるのはすべて笑って居る中に、住民が独り笑わずには居られぬ。Vice Versa 現世を愛し人生生活を楽しむ国民が天地山川を愛し自然にあこがれるのも当然である。この点に於いては東洋諸国の民は北方欧人種などに比べれば天の福徳を得て居るといってよろしい。殊に我日本人が花鳥風月に親しむことは吾人の生活いづれの方向に於いても見られる」 (芳賀矢一「国民性十論」の第4「草木を愛し自然を喜ぶ」明治40年) この資料は元環境庁大井参事官の論文「虚妄の自然愛『日本人自然愛説』について」を中心にまとめました。 文責 原剛

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2017年、初のメッセージ

2017年、初のメッセージを記します。早稲田環境学研究所・早稲田環境塾の活動は、早稲田大学と連携して昨春以降、多彩に展開しています。 早稲田環境学研究所と大学国際部が協働、イオン環境財団の助成を得て、新しい研究「Beyond the Diversity」を2016年6月から5年計画で始めました。生物多様性と社会との持続可能な関連を日本とアジアの社会、自然の特性を前提に考え、現場で実践するのが目的です。 既に昨年8月、精華、高麗、ハノイ、マラヤ、プノンペン、インドネシア、早稲田の学部学生74名が、世界自然遺産知床と根釧台地の標茶町、西別川・虹別コロカムイの会のフィールドに5日間合宿し、現場の実践者、研究者に学びました。 関連して10月6日から8日まで ベトナム・ハノイ大学の本校で250人の学生が参加し、同一テーマでフィールドワークと討論を展開しました。吉川成美、礒貝日月研究員が担当するプロジェクトです。 2016年10月7日から西早稲田キャンパスで、上廣倫理財団の冠講座「文化から環境を考える」も新たに開講しました。 2単位を取得できる後期の正規科目です。こちらも吉川、礒貝のコンビが中心で運営しています。 いずれも早稲田環境塾が10年間蓄積してきた知見を、学内とアジア各地に広く展開するのが目的です。高畠とシマフクロウプロジェクトがその実践面の支えとなっていることは言うまでもありません。 第10期塾はこれらの動向を講義に取り込みます。「文化としての環境日本学」を主題に、「原風景への旅」(全9講)と題して3月開講を考えています。これまでどおり西早稲田のキャンパス19号館309教室で水曜日午後6時半~8時半の予定です。 課題の取材は7年間に亘り、毎日新聞朝刊に全1頁で連載されてきた「新日本の風景」(2015年新聞協会賞受賞)(記事原剛・塾長、写真・佐藤充男塾生)を写真を多用した特製テキストに編集します。3・11東日本大震災・原発事故を視野に入れ、東北、北陸、関東の30カ所に日本の原風景「自然と人間の営み」を訪ねました。 環境意識を介して、日本文化と私たちのアイデンティティを探求し、閉塞社会に視界を拓きます。 10期塾は1月下旬から募集を始めます。 具体的な講義内容は塾生募集時にお知らせします。 早稲田環境塾塾長 原剛

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「環境」をバラバラにしない―自然、・人間・文化環境の統合を―(2008年放映 NHKテレビ「視点、論点」)

「環境と調和する持続可能な社会発展」が社会の合言葉になってきていると感じます。それは政府の政策目標となり、企業活動の目指すべき方向とされています。大学は文系、理系を問わず環境論と環境技術の講座、研究が花盛りです。 しかし例えば地球の温暖化を減速させ、生物の多様性を保とうと国際条約、国内法、自治体の条例が一貫して作られて久しいのに、この日本でも事態に改善の目途はついていません。国際環境法も国内の環境関連の法も的確には機能していないのです。私たちが生活の現場で環境保護に取り組もうにも、漠としてとりとめがありません。 なぜ「環境論、環境技術、環境法が栄えて環境滅ぶ」なのでしょうか。 その理由は「環境」とは何か、その範囲が明らかでなく、「環境」がその場、その人によりけりでバラバラに扱われ、一人ひとりの生活者が実感し、納得できるまとまりのある形で示され、理解されていないからです。つまり「環境」とは何か、についての共通したとらえ方がないためではないでしょうか。 例えば、あなたが水田稲作を生業とする農民であるとします。その営みは3つの環境に支えられてこそ、物心両面から持続可能になるはずです。 第一に、水や土、空気即ち自然環境が清浄であること(自然環境) 第二に、灌漑水路や農道のネットワークが、地域全体として保たれなくてはなりません。物を生産し、消費し、社会集団として暮らしていくことが出来る、いわば人間環境が持続され、再生産されなくてはならないのです。(人間環境) 第三に、自然環境と人間環境を土台に築かれた、その地域独自の文化が保たれていなくてはなりません。(文化環境) 即ち、人が社会生活を持続可能に展開していくには、心理学者、入谷敏男さんが指摘する「自然」「人間」「文化」の三つの環境要素を統合して、同時に生活の場で必要としているのです。PPM(100万分の1の単位)やBOD(生物化学的酸素要求量)で評価される大気や水質は、三つの環境のうちの一つの「自然環境」にとどまるのです。自然環境と共に産業即ち社会集団によって作られる「人間環境」が、地域の自治と行政に支持され、正常に機能しなくては人の暮らしは成り立ちません。 さらに人は「文化環境」を必要とします。それは地域の自然と歴史、即ち風土に培われた営みの集積であり、「あなたは何者か」と問われた時に、居住者が試みるであろう自己確認(アイデンティティ)の礎となるかけがえのない無形の価値です。 この半世紀、私はジャーナリスト、学徒として国の内外を歩き、日本と世界の環境への取り組み現場を取材、調査してきました。顧みて日本、米国、欧州の間には環境問題への取り組み方に、本質的な差異があることに気付きます。アメリカは環境問題を経済に随伴的なもの、つまり市場経済の枠内で解決できる問題であるととらえてきました。 大気汚染対策として、世界初の亜硫酸ガスの排出権取引市場を創設したことが一例です。 ヨーロッパは概して環境破壊を文化に係わる問題として扱ってきました。 経済合理性を、環境問題へ取り組む際の唯一の価値基準とはせずに問題に対処してきました。 例えば生産調整と水質、土壌汚染対策を結び合わせ、化学肥料や農薬を減らし、伝統的な田園の景観を守る農法に減産補償をするEUの共通農業環境政策が例です。 日本はアメリカの経済合理性、ヨーロッパの文化性のそのいずれからでもなく、その場しのぎの、いわば対症療法を以って問題に対してきました。その経験からいまでは 環境問題を経済の側から構造的に解決するために、市場経済の合理性を以って臨むことを余儀なくされています。さらに環境思想、倫理感が国民の間に高まるにつれ、「文化」としての視点から環境への取り組みを強めてきているように思えます。人間にとって「環境」とはなにか。その知識を深めることなく、環境をバラバラにとらえてやってきたため「環境論、環境技術栄えて環境滅ぶ」の結果に到った。日本もその欠陥を自覚して、修正する過程に入ってきたようです。 他方で、日本はこの半世紀の間、高度経済成長期の産業公害を経て、公共事業による自然破壊を経験し、豊かになった生活がもたらした環境汚染の経験を経て、世界でも比類のない環境・自然保護の実践と知恵を蓄積してきました。 地球の温暖化が一例ですが、環境破壊の影響が、不安域から破局域をも視野に入れざるをえない状況に到りました。いまこそ日本社会の豊富で実践的な環境保護への知的財産、技術的成果を再評価し、自然、人間、文化環境の三方向からその価値の体系化を試みる「環境日本学」を創造し、国際化時代に環境立国を考える日本人の自己確認(アイデンティティ)の礎とすべきです。 早稲田塾は、「環境」を分断することなく、自然、人間、文化の三要素の統合体として認識し、環境と調和した社会発展の原型を地域社会の現場から探求します。あごをひいて、暮らしの足元を直視し、現場を踏み、実践に学びます。農・漁民、企業人、NGO、宗教家、学者、官僚、政治家が先生となります。同志の参加を歓迎します。 (2008年放映 NHKテレビ「視点、論点」)

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「高畠学」-農からの地域自治

「高畠学」-農からの地域自治 早稲田環境塾第1叢書 日本で初の大規模な無農薬有機農法と生産者・消費者提携のキーパーソン、星寛治を中心に既成の農業観を根本的に問い直し、真に共生を実現する農の形を創造してきた山形県高畠町の農民グループ。 「地域づくり」と「持続可能な社会」とを結ぶ基盤とは何か、現地の当事者と、そこを訪れた「早稲田環境塾」塾生レポートから、その実践の根底にある「思想」、その「現場」、そしてその「可能性」を描く。(藤原書店刊2500円) 点から面に拡がり、「たかはた食との農の町づくり条例」の制定(2008年)に到る展開を遂げてきた有機無(減)農薬農法により復活し、生み出された自然生態系(自然環境)、人間の営み(人間環境)、が生命に満ちた「新しい自然景観の形成」(新しい文化の創造)に到ったといえよう。 早稲田環境塾が高畠町の、とりわけ和田地区に「日本文化としての環境」の原型(prototype)を認識するゆえんである。 高畠はあまねく「日本」の地域社会たりうるし、逆もまた真なり、といえるのではないだろうか。自然環境、社会的インフラストラクチャアー、制度資本から成る社会的共通資本が、最高の水準で整っている日本ならではの可能性である。ミクロからマクロを構想する手掛りと言えよう。 1974年、朝日新聞朝刊に連載され、農薬による環境汚染を告発した有吉佐和子の「複合汚染」、ジブリ高畑勲監督のアニメ映画「おもひでぽろぽろ」、NHKのドキュメンタリー「まだ見ぬ妻たちへ」はこの現場から作られた。 「環境を、きれいだとか、有機物質が食べ物に入っていないとか、そういう単なる外的な要因でとらえるのではなく、『人間と文化』という観点を加え、長い目で見て、どういう生活環境が人の心を幸せにするかという研究の観点は、強烈に胸をうつ」東郷和彦(『戦後日本が失ったもの』角川書店)

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『京都環境学 宗教性とエコロジー』

東京新聞“今週の本棚”「自著を語る」(2013年4月30日夕刊)早稲田環境塾叢書 原発事故、神仏はどう語る。 文化としての環境日本学の創成を目指す早稲田環境塾の第2叢書として本書を編集した。 編者は1962年からこの方、ジャーナリスト、学徒として世界と日本の環境問題の現場と国際会議を取材し、キーパーソンへのインタビューを重ねてきた、それらの経験に基づき、この書題にたどり着いた。 日本の神々と仏が、現代に環境思想を語るならば、どのような言葉を用い、歴史的に裏付けるだろうか。 菅原信海妙法院門跡門主は、自然に存在するもの総てに仏性がある、とする天台教学を万葉集の額田王の歌と宮沢賢治の聖地感覚から紹介する。鞍馬寺の信楽香仁貫主は「自然の姿が仏教経典の総てである」と説く。鞍馬寺では生態学者が自然環境を解説し、国宝の仏像群と動植物の標本がともに展示されている。 嵯峨井健下賀茂神社禰宜、貴船神社の高井和大宮司は「初めに自然ありき。その中に神はあった」と語る。法然院の梶田真章貫主は、先祖教に変質した「日本人の宗教心」を、寛永寺圓珠院の杉谷義純住職は、良源の「草木成仏説」に由来する「草木国土悉皆成仏」の思想を説明している。 これら神仏の教えの大要は、既に水俣の人々が苦悩の果てに自らつむぎだした言葉と行動によって、暮らしの現場で実践され、祈願されていると編者は考える。漁師緒方正人さんは、激烈な闘争の果てに「何かを見てしまい」、「私もまたもう一人のチッソである」と1994年、患者17人と「本願の会」の結成に到る。原発事故と日本社会との係わり方に、水俣病事件と同様の軌跡を見ていると緒方さんは、社会体制転換の革命と違って、もっと本質的な意味での「文明の革命」への胎動を鋭く予感している。 作家石牟礼道子さんはインタビュー「空しさを礼拝するわれら」で、水俣病患者を「観音様か菩薩様」と思い続けてきた自身の精神史を明かす。 環境問題を介して現代における宗教性の、リアルなありように形を与え、文化の基層への共感に基づく実践への動機を生みだすことが塾と本書の目的である。(藤原書店・2100円)

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農業と環境を考える

第3回入会地を地域の活力源にできないか~茅場で40年ぶり野焼き 群馬・藤原の試み 毎日新聞朝刊 全国版 2009年9月12日 紅葉たけなわの10月24日、25日、首都圏の水源地群馬県みなかみ町藤原にある入会地の茅(かや)の原で日本、中国、韓国の環境活動家とジャーナリストが参加して、人間の暮らしの場で人と生きものの共生のあり方を住民と共に考える集いが開かれる。 日本環境ジャーナリストの会が主催し、森林塾「青水」と早稲田環境塾が協働する。 藤原は標高1100メートル、谷川岳、武尊山が迫る人口約500人の山村である。農林業はとうに衰弱し、スキー場と民宿、温泉宿を細々と営んでいる。小学校の新1年生ゼロの年が続いている。 国際交流が行われる入会地(21ヘクタール)は、200ヘクタールのゴルフ場が手を出せず、誰からも見捨てられた武尊山麓の急傾斜地にある。そこに自生する茅は、かつて集落の人々が屋根ふきやかいばに共同利用していた。 「飲食思源」を合言葉に、水源地の水神社を訪ね歩いていた東京の山好きたちが、2002年藤原を訪ね、そのたたずまいに魅了される。 森林塾「青水」を結成し、ススキ草原(茅場)や古道(フットパス)など地域の自然・文化遺産の再生と活力に尽力、 主催する「コモンズむら ふじわら」塾には小、中高校生、大学生、都市民が途切れることなく参加し、地元の人々とともに共同作業に汗を流し民宿、温泉宿をうるおしている。入会地に 天を焦がす野焼きの火が40年ぶりに復活した。 詳細な動・植物の生息調査と神仏由来の文化遺産地図も完成、古民家の修復に取り掛かっている。 10月24日に青水の塾生と集落が総出で茅刈りが行われる。茅は宮大工がすべて買い取り、県内の神社、仏閣の茅ぶき屋根に用いられる。 工業の効率に押され中国、韓国でも農村とりわけ山間地の集落が消滅しつつある。市場の自由化の徹底はそのダメ押しとなりかねない。 国の政策とあわせ、都市民の協働を得て地域の埋もれた資源に光をあて、入会地を現代に復活させ地域の活力源にできないか。国際交流の共通のテーマである。 原 剛 (早大特命教授、早稲田環境塾塾長)

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