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第10期早稲田環境塾塾生、早稲田環境塾の皆さんへ

第10期早稲田環境塾の第7講「女神舞う花の大滝」(福島県・三春町 31日)は、「文化としての環境日本学」の核心へ展開します。 生物学が証明する「不定根」による1000年余りの樹勢継承の証を、佐藤カメラマンの傑作写真を多用して証明します。桜を熱愛する花の民族・日本人が、なぜ自然破壊の国際的コンサベイション・ギャング、公害大国に堕したのか。環境省大井道夫元参事官の論究「虚妄の自然愛『日本人自然愛説』について」と原塾長のイエローストン国立公園への滞在記をテキストに解明します。三春町の臨済宗福聚寺住職、作家の玄侑宗久さんと原塾長のインタビュー「直観文化の粋」も交えて講義します。 第3シリーズ第2講「月の山に祈る」(山形県鶴岡市 6月7日)は、月山と出羽三山信仰が舞台です。山岳宗教、神道、仏教が習合した日本人独自のカミの概念、シンクレティズムの原点、「月山」を訪ねます。なぜ今山伏なのか、月山の山伏体験をたどり、日本文化の基層を成す宗教観(自然観)の原風景に迫ります。大日坊瀧水寺の真如海上人の即身仏(ミイラ仏)と加持祈祷により、明治元年の神仏分離令から149年、神仏習合の原風景の現場を、今なおまざまざと体験できます。「ここでは拝む対象は一つ。天照大神(神様)は大日如来(仏様)であり、八幡様(神様)は阿弥陀仏様(仏様)なのです」。(遠藤宥覚・大日坊瀧水寺貫主)。 すべての吹きの 寄するところ これ月山なり 「月山」の作家森敦はうめくように記しました 最終回の第3講「文化としての蛍の灯」(6月14日、山形県高畠町)は、早稲田環境塾のフィールドワークの現場です。有機無農薬農法と、生産者・消費者提携の原点である山形県高畠町を訪ねます。早稲田環境塾を母胎とする「青鬼クラブ」による原発風評被害克服の試みも紹介します。米沢藩に対する農民一揆の指導者高梨利右エ門を今も祀り、権力者たちが巨石に刻まれた一揆への酬恩碑を引き倒すたびに、集落の女性たちの毛髪で編んだ綱で引き立て直した農民たちの気概を、農業基本法農政を批判し、無農薬農法による田んぼへの蛍の復活を介してたどります。 10期塾第3シリーズは、3回の講義により文化としての環境日本学、の核心に迫ります。努めてご参加ください。 早稲田環境塾 塾長 原剛

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日本人の自然愛は虚妄か

第10期早稲田環境塾7講 「三春の滝桜」資料 自然愛と自然破壊の仮説とモデル 仮説1 自然愛喪失説 自然愛と自然保護思想とは正の比例関係にある。国民が自然を愛すれば、それだけ国土の自然は守られる。日本人は昔、自然を愛していたが、いつ頃からか、それを愛さなくなった。だから、現代の自然破壊が引き起こされた。 仮説2 自然愛否定説 日本人は昔から自然を愛してはこなかった。そして現代にいたってもそれを愛していない。だから,自然破壊は当然の帰結である。 仮説1のモデル 文部省主催 文明懇談会(1976~77)で、文芸評論家山本健吉は次のように指摘している。 古代人が持っていたアニミズムとマナイズムの均衡が崩れたためである。 アミニズムとは自然の中に霊魂を見ることであり、どちらかと言えば、人間と自然との親密感をあらわすものである。マナイズムとは自然の中に超自然的な威力を感じることであり、それは自然に対する人間の畏怖の念をあらわすものである。古代日本人はこの両者をもっていたが、時代の経過とともにそれらを失ってきた。特に明治以後、欧米文化が移入されると、それらは迷信として排斥されるようになった。だが、むしろそれは日本人が古来生きるための大変な知恵じゃなかったか、そういう考え方が、(中略)人間の生活を快適に送らせてくれたんじゃないか。そういうプラスの面を考えてもいいんじゃないか。 「文明懇談会」での朝永一郎氏の意見。「山本健吉氏のマナイズムとアニミズムの指摘に『自然科学の知識』の作用を加えたい」―日本人は自然科学的な知識に対する恐れ、罪の意識が全然ない。自然科学の生まれた西欧諸国は自然と人間は対立するものと考えてきた。ヨーロッパで、自然破壊があってもおかしくないが、ついに日本のようなところでそれが出て来たというのは、ヨーロッパでは、自然破壊に対する抑制がある意味で罪の意識からあったのではないか。日本人の方には人間と自然の対立がなかったので、それまで全く馴染みのなかった科学というものが西欧から入ってきたときにかえってのんきにそれが飛びつき利用しようとしてこういう破壊をもたらしたのではないか。 仮説2のモデル 記紀歌謡が著しく人間中心的な傾向をもっているのに、万葉集では叙景歌が多くなる。それは、万葉人が自然愛を持っていたからではなく、そこには中国文化の影響があったからである。古今集の歌には花や鳥の名前があまり出てこない。「古今集」の歌人たちは、鳥が好きだったんじゃなくて、ウグイスが好きだった。極端に言えば、まさに言霊であって、ウグイスの鳥ではなくて、ウグイスという言葉が好きだった。それはいわば、文学愛とでも呼べるようなものであった。(加藤周一「日本文学における土着性と自然観」) 筑波常治早大教授は雑誌「青と緑」への寄稿「自然保護の先駆者たち」(1972年10月号)の冒頭で、日本の歴史の中から自然保護の先駆者を探し出すことは、ほとんど不可能のであると述べている。なぜなら、日本人は昔から自然を保護しようというような意識など持ち合わせていなかったからである。その理由は、わが国の恵まれた自然にこそ求められる。自然が恵まれておれば、人間はその中でその思想を素直に受け入れておればよいわけである。積極的に人手を入れて保護する必要がなかったのである。それにひきかえ、ヨーロッパの自然は厳しかった。それゆえに、自然に人間が対決するという西欧文明が生まれた。そしてその西欧文明においてこそ、自然を管理するという自然保護思想が誕生したのである。 大井道夫氏の考え 私は「自然保護不毛説」が最も正鵠を得たものではなかろうかと考えたい。少なくとも、日本人の自然愛やアニミズムは、決して自然保護思想とは繋がるものではないと思いたい。日本人は自然愛を持っていたかも知れないが、江戸時代においても、それは決して自然破壊を糾弾する思想には転化されなかった。いや、江戸時代だけではない。明治から大正、昭和にかけても、ついこの間まで、自然破壊を糾弾する思想などは、かけらほども日本人はもたなかったのである。その意味では、日本人の自然愛は虚妄のそれにしかすぎなかったのだ。 日本人は自然保護思想をもってはいなかった。それはなぜであろうか。日本人の古い自然観がむしろ、それを育てることを拒んできたからである、と私は考えたい。日本人の自然愛と言っても、またアニミズムと言っても、それは自然への日本人の感性的な反応にほかならなかった。このような感性的な自然把握の仕方が、自然保護思想の定立を妨げてきたのである。こう考えると、言語同断な自然破壊の現状からの離脱はもはや明瞭であろう。それは決して古い自然観への回帰することによって達成できるものではなく、合理精神を育て、科学を進展させることによって、更にそのカウンター・パートとしての罪の意識を育てることによってのみ達成されるのである。 原塾長コメント 日本人の自然観の解明と新たな展開とを課題とする「文明懇談会」(1976年~77年)での討論には、自然、社会、人文各分野を代表する人たちが参加していた。 高度成長経済政策が環境破壊によって限界をあらわにした時代を背景にこの会合が行われた。従ってその後環境、自然保護政策が世論と市民運動に押されて統合され、社会の規範とされていった現象が、これらの所論には充分には反映されていない。多くの欠陥、矛盾を内包してはいるが、その後の日本人と社会の自然観には激烈な自然破壊の果てに、朝永が指摘している「科学性と科学の罪への意識」らしき認識が反映されるようになった。 (原発再稼働に示されるように、中途半端ではある。)環境影響評価法、自然生態系保護関連法など、法律は社会の文化の表現である。文化を共有する社会でこそ法益は実現される。日本人とその社会ではその自然への愛が、依然として虚妄であり続けるのか、「否」とすべく、私たちは様々な努力を試みている過程にある。 大井が指摘する日本人の自然観 「気候は温和である。山川は秀麗である、花紅葉四季折々の風景は誠にうつくしい。かういう国土の住民が現生活に執着するのは自然である。四囲の風光客観的にわれらの前には横はるのはすべて笑って居る中に、住民が独り笑わずには居られぬ。Vice Versa 現世を愛し人生生活を楽しむ国民が天地山川を愛し自然にあこがれるのも当然である。この点に於いては東洋諸国の民は北方欧人種などに比べれば天の福徳を得て居るといってよろしい。殊に我日本人が花鳥風月に親しむことは吾人の生活いづれの方向に於いても見られる」 (芳賀矢一「国民性十論」の第4「草木を愛し自然を喜ぶ」明治40年) この資料は元環境庁大井参事官の論文「虚妄の自然愛『日本人自然愛説』について」を中心にまとめました。 文責 原剛

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10期塾 募集要項

期間 2017年3月29日~2017年6月14日の水曜日 午後6時半~8時半(3連続講義の翌週は休講)。 講義の予定日は3月29 4月5,12,26日 5月10,17,31日 6月7,14日 場所 早稲田大学本部キャンパス(西早稲田)19号館3階309号室 費用 テキスト・レジュメ代、交流会費として 社会人(初参加)20000円 塾生12000円 学生5000円 問い合わせ・入会申込み先 下記メールもしくはファックスにより①名前 ②住所 ③連絡先(電話番号、メールアドレス) ④受講理由を記載し、ご連絡ください。メールの場合、標題を「早稲田環境塾第10期申込み」としてください。 早稲田大学・早稲田環境学研究所 早稲田環境塾 塾長 原剛 〒169-0051 東京都新宿区西早稲田1-21-1 早大19号館324号室 Tel/fax: 03-5286-1995 E-mail: wasedakankyoujuku.bosyu@gmail.com  

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「新日本の風景」連載リスト

「新日本の風景」連載リスト 主題 掲載日 地名 1 お盆恋しや・・・・・西馬音内 2007. 8. 9 秋田県 羽後町 2 明治百年通り 明日へ続く道 2011.11.15 秋田県 小坂町 3 源氏興亡の舞台 熱海 2010. 5.20 静岡県 熱海市 4 桜花まとう 春の伊豆 2011. 3.10 静岡県 伊豆半島 5 人と自然が織りなす、懐かしい風景 2010.10.21 長野県 飯山市 東日本大震災 原発事故 2011. 3.11 6 心を映す風景 東北の浄土 2011. 7.29 岩手県 平泉町 7 東北で触れる 日本の深淵 2011. 8. … 続きを読む

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「風景が心を耕す」―岩手文化へ、高まる共感

平泉世界遺産の日シンポジウム「平泉―文化としての環境」 基調講演「風景が心を耕す」―岩手文化へ、高まる共感 2015年6月27日 中尊寺本堂 私の風景を発見、そして共感 安達太良山を過ぎ、仙台平野にさしかかると水田景観のかなたから北上山地が車窓に迫る。安達太良の頂に「ほんとうの空」を見つけた光太郎と妻智恵子。そして車窓いっぱいに広がり、けいこ笛田はことごとく<青みけり>(一茶)そのままの景のかなたに、巨熊に倒された熊獲り名人、淵沢小十郎を悼む熊たちが棲む「なめとこ山の熊」(宮沢賢治)の山岳景観が展開する。 宮澤賢治の童話「なめとこ山の熊」の一部です。 熊捕り名人、淵沢小十郎は熊の月の輪をめがけてズドンとやるたびにこう言うのだった。「熊。おれはてまえを憎くて殺したのではねえんだ。おれも商売ならおめえも射たなきゃならねえ。 てめえも熊にうまれたが因果なら、おれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生まれんなよ」 冬のある日、小十郎は大きな熊と対決、頭に一撃をくらう、意識が遠のく小十郎は、遠くでこういう言葉を聞いた。「おお小十郎、おまえを殺すつもりはなかった。」 それから三日目の晩、凍てつき、山頂に伏せた小十郎を囲んで、黒いものがたくさん輪になって集まって、じっと雪に伏したまま動かなかった。 なめとこ山の熊たちは、老いた母と貧しい一家を養うために、熊を撃つが、決して熊を憎んでなく、雪か、花か、見まごう早春の景に見とれる月夜の母子熊の会話に、胸がいっぱいになって身を引く小十郎が大好きだったのだ。 赤黒いごりごりしたおやじで、胸は小さな臼くらいあった。剛毅な小十郎ではあったが、その心眼は熊の体から後光(仏、菩薩の体から発するという光輝)がさすのを見ることができた。 光太郎や賢治の心情を私が思いやるとき、車窓に映える自然景観は、光太郎や賢治の心を読みこんでみる主観交じりの「私の風景」に変化する。 そして「私の風景」はかけがえのないその人の心のよりどころ、精神形成の空間になりうるのです。「なめとこ山の熊」が編纂されている岩波文庫「童話集 風の又三郎」ほか18編」 は1951年の第1刷からすでに90刷になろうとしています。 「なめとこ山の熊」のストーリーに共感し、どれほど多くの人が自然と人の営みに深く思いをいたすことのできたことでしょう。 淵沢小十郎はまごうことのない東北人、北上山地の人間像です。自然や野生の動物たちと交流し合い、他界や土地の神々とも交歓し合うことが出来る「遠野物語」の主人公なのです。「なめとこ山の熊」の風景に私たちがひそかに好感を寄せるのは、そこに日本文化の基層を流れるエートス(精神構造)があり、ゆえに現代の私たちの心を共感で繋いでくれるからではないでしょうか。 そのような特長をもつ地域を社会学では(場所性)という表現をします。トポスが重視されるのはトポスが人間存在を成り立たせる基体として考えられているからです。トポスは風景に表現され, 「精神形成の空間」だからです。ポスターの文に英国の作家ロレンス・ダレルの言葉「人間は遺伝子の表現というより、風景の表現である」を記した理由です。 なぜ「風景」を論じるのか 私は1961年早稲田大学法学部から毎日新聞社東京本社の東京本社へ入社、編集局社会部記者、デスク、科学部部長、論説委員を務め、1998年に早大大学院アジア太平洋研究科の教授に招かれ「環境と持続可能な発展論」「マスメディア論」とゼミナールを10年間担当しました。 2008年に定年退職後、文化としての環境日本学の創成と実践を旗印に、「早稲田環境塾」を創設。早稲田大学を拠点にNGOと2つのフィールド(山形、北海道)それに毎日新聞社とを結び活動してきました。「環境日本学」の背景には私が世界と日本でジャーナリスト、学徒として半世紀の間に対した無数の景観と私の風景が連なっています。 農業基本法が1961年に施行され、翌62年に第一次全国総合開発計画が閣議で了承されました。産業構造を改革し、工業化と都市化を基軸に日本経済が高度成長期に入ろうとしていた61年に毎日新聞の記者になった。 既に産業公害が激発しており、1961年には水俣で胎児性水俣病が発見され、政府を揺るがす社会問題になっていった。三重県四日市コンビナートでは操業開始4年後の1960年に1000人を超す喘息など、呼吸器系公害病患者が発生、四日市第一コンビナートに隣り合う塩浜小学校の生徒達は、「公害に負けない強い体をつくるため」に、工場排煙にかすむ通学路をマスクをつけて登校し、授業に先立ち毎朝乾布摩擦に努めていた。 全国いたるところで海は埋め立てられ工場用地とされ、山岳は観光道路に、森林は多目的林道で切り裂かれ、私の心身を育ててくれた日本列島の自然と風景は瞬く間に無残な破壊を蒙ることに。たまりかねて、環境庁自然保護局の大井道夫参事官を中心に霞が関の若手官僚たちが参加して「風景研究会」が結成され、虎の門の文部省教育会館を拠点に風景を守る活動を開始した。環境庁を担当していた私も加わり、風景を守るキャンペーン報道を意識して行いました。 1975年4月8日から7月22日にかけて、毎日新聞に「私たちの風景」を連載した。書き手に井上靖、東山魁夷、梅原猛、岡部伊都子、中尾佐助。同年毎日新聞から出版された同名の書は帯に「環境破壊は、急激に私たちの美しい風土をむしばみつつある。もう一度この国を、私たちの風景を見直そう、ひたむきな祈りをこめて」と。 どんな場合でも、風景との巡り合いは、ただ一度のことと思わねばならぬ。自然は生きていて、常に変化していくからである。また、それを見る私達自身も、日々、移り変わっていく。生成と衰滅の輪を描き変転してゆく宿命において、自然も私達も同じ根に繋がっている。 花が永遠に咲き、私達も永遠に地上に存在しているなら、両者の巡り合いに何の感動もおこらないであろう。花は散ることによって生命の輝きを示すものである。花を美しいと思う心の底には、お互いの生命を慈し(いつく)み、地上での短い存在の間に巡り合った喜びが、無意識のうちにも、感じられているに違いない。それならば花に限らず名も知らぬ路傍の1本の草でも同じことではないだろうか。」(東山魁夷「一枚の葉」) その前年1974年に有吉佐和子が朝日新聞に「複合汚染」を連載。自然保護憲章が国民会議で採択(平成天皇となる皇太子が宣誓)そういう時代状況でした。 ダライ・ラマインタビュー 大学に転じて7年たった2005年2月末のことです。毎日新聞社の依頼でチベット仏教の「活き仏ダライラマ」14世法王とのインタビューを試みました。 ニューデリーから列車で10時間、カシミールに近い西北インドの街パタンコットへ。万年雪のヒマラヤ山脈ダウラダル山地へ向け、信号機が1つもない道を3時間飛ばすと、標高5000㍍級の山脈が壁となって覆いかぶさってくる。車の登攀力が限界に達した谷間の急斜面に、ダラムサラの町がへばりついている。 1950年、中国に追われチベット・ラサのポタラ宮殿を脱出したチベット仏教の「活き仏」であり、亡命チベット政府の首班(2016年首班を辞任)でもあるダライラマ14世法王の活動拠点である。 インタビューに先だって、亡命政府からダラムサラの要所を廻り、チベット仏教の思想と実践を学ぶよう求められていました。私は5日間ダラムサラに滞在し、20年ぶりという大雪で雪崩が連発するこの地の風景に息詰まる思いで接しました。 毎朝真っ暗闇の奥から怒涛が押し寄せるかのように、地響きを伴った音響がホテルの頑丈な石壁を越して伝わってきた。 音源を確かめようと崖っぷちの凍てついた雪道をそろそろとたどると、岩山の頂に在るダライラマ宮殿の寺院の境内に。 柱だけの吹抜けの大広間で上半身裸の300人近い僧侶が星がまたたくヒマラヤの雪の稜線に向かい、腹の底から発するかのごとき大声量で読経に熱中していた。ダライラマは一人同時刻に、宮殿で沈思沈考の時を過ごすとのこと。 僧侶たちの大群と、ダライラマ師によって共有されている、夜明けのヒマラヤの荘厳極まりない風景に私は深い感動を覚えた。 危機の時代と風景論 … 続きを読む

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危機の時代と風景論

日本の近代化途上、風景論が三度興った。いずれも戦争に関連する危機の時代であった。風景論はその宿命としてナショナリズムを負わされてきた。 ① 志賀重昂「日本風景論」。日清戦争(明治27―28年、1884~85年)が起きて間もない明治27年12月に刊行され、国家意識高揚期の青年に大きな共鳴現象を起こした。 ② 小島烏水「日本山水論」。日露戦争(明治37-38年、1904~05年)のさなか(1905年)の刊行。 ③ 上原敬二「日本風景美論」(昭和16年~20年、1941-1945年)。太平洋戦争ただ中の昭和18年(1943年)6月に刊行。 「風景とは何か」-科学と感覚の風景 志賀重昂の風景論が新鮮にとらえられた理由は、自然とは何か、漠然と考えられていた命題に、明快な答えを日本人として初めて与えた点にある。 A 自然を観察や実験の対象として客観的に見据える、科学的アプローチ B 人間の感覚を使って全体的に把握しようという主観的、経験的なアプローチ 日本人は昔からBの方が得意(西行、芭蕉、山頭火)。欧米人はA(チャールズ・ダーウィン、イザベラ・バード)。 宮沢賢治はAとBを止揚しようとした(第2回青鬼サロン「たぎる 詩魂の軌跡」星寛治の心をたどる参照) 志賀は日本風景の特長を、科学的な面から4つに要約してみせた。 ①気候海流の多変多様 ②水蒸発の多量 ③火山岩の多さ  ④流水の浸食激烈。 さらに感覚的な面から3つの表現を日本の風景に与えた。 ① 瀟洒 すっきりあか抜けている。 ② 美 美しく立派なこと 感覚を刺激して内的快感を呼び起こすもの。 ③ 跌宕(てっとう) 奔放、堂々としていて細事にかかわらない。 日本風景の科学的特長は、繊細巧緻(こまやかにしてたくみ)。地形、地質、植物、気象現象など風景の実態を形づくる要素が、密度高く絡み合って分布している<変化の妙>にある。(参考 大井道夫「風景への挽歌」アンヴィエル社 1978) 東日本大震災、原発メルトダウンと第4の風景論 2011年3月、東日本大震災と大津波、連動した東京電力原発メルトダウン事故によって東北太平洋岸の風景が壊滅し、消去されるのを私たちは目の当たりにした。大津波は水の壁となって土煙を巻き上げ、田畑と集落を蹴散らし、跡形なく消し去った。3・11のあの光景を目にした時、私たちの身のうちから、かけがえのない何ものかが、風景と共に失われていくのを感じなかっただろうか。 巨大な災害に直面した社会では、元あった姿に復帰しようとする「立て直し・復旧」のエネルギーと、新しい規範に基づいて社会を作り変えていこうと試みる「世直し・復興」の動きとがぶつかり、連動していく。文明史的な経験に学ばず、例えば原発再開に見られる「復旧」の動きは、政府、自治体の主導により形をとりつつある。 3・11から6年を経た2017年の現在、日本社会は未だに世直し(復興)の哲学を見出していない。社会がいわば海図なき漂流に陥っているさ中に、第4の風景論が日本人の内面的な欲求として待望されている。第10期塾は、日本の原風景の地を訪れ、文化としての環境思想の原型とその表現としての原風景を探求したい。 何によって第4の風景論は論じられ、その認識は共有されるべきか。それは日本人としてのあなたのルーツ、文化の基層を訪ね、日本人とは何か、アイデンティティ(自己確認)を試み、日本文化に根ざす共感のエネルギーによって、世直しに向かうことから始動すべきではないだろうか。文化としての環境日本学の究極の目的である。 ―人はみな、シメール(注)を負っているごとく、それぞれの郷里、自己形成空間を自分の中に固く守り持ち、それに律せられている。文学者の場合、その作品を深層意識的に決定する独自な“原風景”を魂の中に抱いているのだ。 故郷を持たない、つまり風土豊かな自己形成空間を持たない大都会育ちのぼくはシメールを持っている、つまり強烈な“原風景”を内部に蔵している故郷のある地方出身の文学者たちにながい間絶望的な羨望と嫉妬を感じてきた。島崎藤村の信州馬篭の宿、正宗白鳥の瀬戸内海の『入り江のほとり』、室生犀星の加賀金沢、佐藤春夫の紀州熊野、太宰治の津軽、坂口安吾の新潟から、現代作家でも井上靖の伊豆湯ヶ島、水上勉の裏日本の若狭、井上光晴の佐世保や炭鉱、大江健三郎の愛媛の山中等々にこれらの作家たちは、文学のライト・モチーフともいうべき鮮烈で奥深い”原風景”を持っている。それは旅行者の眺める風土や風景ではなく、自己形成とからみあい血肉化した、深層意識ともいうべき風景なのだ。彼らは絶えずそこにたち還り、そこを原点として作品を書いている。その強固さには到底大都会生まれの文学者は太刀打ちできない。(奥野健男「文学における原風景」集英社 1972) 東京の山の手・恵比須で育った奥野自身は、原っぱの隅っこ・洞窟の幻想を、自己形成の空間 原風景として認識している。 注 シメール 頭が獅子、胴が羊、尾は蛇、口から火を吐くギリシャ神話の怪獣 詩人ボードレールは散文詩「パリの憂鬱」(「おのがじしシメールを」)に「彼らはめいめいその背中に、巨大なシメールを負っていた」と記した。(秋山晴夫訳「パリの憂鬱」筑摩書房 世界文学体系38 1959)

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10期早稲田環境塾第「原風景への旅」目的といきさつ

ダライ・ラマへのインタビューと東日本大震災 早稲田環境塾第10期の課題を「原風景への旅―文化としての環境日本学の探求」と定めた。2007年8月9日から毎日新聞朝刊に1頁大でのべ30回連載中のルポルタージュ「新日本の風景」をテキストとした。(2015年 日本新聞協会広告賞受賞) 東北、北陸、関東の各地に日本文化の基層、及び日本人の環境意識と自然観を映していると思われる自然と人の営みを求めた。 取材の動機の第1は、厳冬のインドヒマラヤ山地ダラムサラムでのダライ・ラマ14世へのインタビュー(2007年2月)とチベット仏教僧群の暁の祈りの光景である。その経緯は中尊寺での原塾長の講演「風景が心を耕す」(「講義を理解するために」に収録)に記した。 2011年3月、連載の最中に東日本大震災と連動した東京電力福島原発のメルトダウン事故が発生した。この時の日本人、地域社会の意識と行動の原型が、特徴のあるその風景の現場から露呈してきた。 精神形成の空間としての原風景 「特徴ある風景」とは、奥野健男がその著書「文学における原風景」(集英社 1972)で規定した「自己形成とからみ合い、血肉化した、深層意識」を思わせる風景である。このような問題意識から「新日本の風景」は原風景の探求に向かわざるを得なかった。 3月に開講する第10期早稲田環境塾では、30カ所のフィールドから8つの現場を紹介する。 抜粋篇では連載番号12の「イザベラバード、感動の旅」と同11の「朱鷺・文化の舞」を例示した。目次に10期塾の講義が対象とする8か所と全取材箇所名を新聞連載順に記した。 文化としての環境日本学の探求 10期塾は2008年の塾発足このかた、10年間におよそ150回開催された塾の講義と2つの実践プロジェクトの成果に支えられている。第1に、有機無農薬農法と生産者・消費者提携の原点である山形県高畠町のたかはた共生塾との協働作業、第2に北海道有数の鮭川、そして日本一の酪農地帯である西別川流域(標茶、別海、弟子屈町)で「虹別コロカムイの会」の「シマフクロウ100年の森作り」への参加から学んだ文化としての環境日本学の可能性への展望に支えられている。特別な構成のため、原剛早稲田環境塾塾長と佐藤充男カメラマンの現場取材者が講師を勤める。 連載は記事を原剛塾長、写真を塾生の佐藤カメラマンが担当した。テキスト作成に当たり、版権の関連から毎日新聞とJR東日本に協力いただいた。感謝申し上げる。

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たかはた共生プロジェクト「青鬼クラブ」会員、早稲田環境塾生の皆さんへ

12月19日夜、東京恵比寿のフランス、ブルターニュの郷土料理店「カフェ クレープリー ル コントワール」に、青鬼クラブ会員・早稲田環境塾生ら40人を超す同人が集いました。11月26日、山形・高畠での開催に続き、恒例の青鬼サロン東京版です ブルターニュ出身のオーナー、ラーシェ・ベルトラン氏を始め、高畠出身の店主安部直樹さんほかスタッフが総出動。「たかはたシードル」のお披露目パーティーとなり、ワインテイストの豊潤で華麗なシードルを愛でつつ、集いは華やかに、楽しく深夜に到りました。 10月に穫りたての青鬼農園からの新ソバに、レストランのシェフが腕を振るった絶品のソバのガレットも味わいました。 たかはた共生プロジェクトから星寛治共同代表、中川信行副代表、青鬼農園を現場で支えている佐藤治一事務長、若手の代表皆川直之さんが参加しました。 「たかはたシードル」はアルコール度8%。7分の1に蒸留すればフランス・ブルゴーニュ産の銘酒「カルバドス」に昇華されます。 パーティーには「人間のための経済学・内発的発展」論の第一人者で、早稲田環境塾に基本理念を及ぼした西川潤・早稲田大学名誉教授夫妻、日本の政治社会学を主導する栗原彬立教大学名誉教授、農業の回生を通じて、社会の変革を志す早稲田大学教育・総合科学学術院福田育弘教授が加わりました。 口に含めば、その芳醇さに感嘆する「たかはたシードル」。原料のリンゴは、奥羽山脈の直下、たかはた共生プロジェクト会員たちの43年に及ぶ有機無農薬果樹園の産です。初の作品としては望外の出来映えです。県立広島大学百武ひろこ教授によるスマートな縦長のラベルデザイン。裏ラベルには星寛治さんを取材して得たメッセージが添えられ、並々ならぬその物語性を秘めています。 高畠と東京を繋ぎ一連の活動と成果を導いたのは早稲田環境学研究所客員准教授、県立広島大学准教授の同志吉川成美さんです。トヨタ財団・国内助成からの支援を得て、県立高畠高等学校での連続講義、実技指導、三つの中学校を統合して今春新設されたばかりの高畠中学で、学校農園の開設など、プロジェクトの一連の成果の“華”が「たかはたシードル」です。 飲食表象論の専門家で、ワインづくりに精通している福田育弘早大教授から「本物の国産ワインは工業産ではなく、農業の生業となっているフランスに学びたい」と激励の辞を贈られました。

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コロカムイの会の「事業報告会、忘年会」

コロカムイの会の「事業報告会、忘年会」が、地吹雪猛る北海道根釧台地・標茶町の酪農センターで12月10日行われました。23年間で最多の63人が参加、酒宴の会場に入りきれない程の盛況で、早稲田大学から11人の学生と吉川成美、礒貝日月講師、原塾長が参加しました。 10日午前は、森の巨木に20メートルの梯子を架け、巣箱の掃除と間もなくの営巣に備えて巣箱に木くずを敷き詰める作業が会員と学生たちによって行われました。 大橋養魚場・水産試験場を流れるタウシュベツ川のバイカモは、秋の台風によるウライ(捕獲棚)の崩壊により鮭が殺到、産卵のための川底掘さくで全滅したとのことで、目下残った根つき草を10本づつ束ね、移植する作業が行われています。 大橋事務局長の鮭定置網は例年の約30%の漁獲量で、代わって暖流系のブリが大漁に。温暖化の悪影響がひたひたと迫っています。

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シードルパーティ

高畠は根雪が間近く、遠景の蔵王、飯豊、朝日、吾妻は既に純白の彩りです。 2016年度事業報告会、交流会が11月26日、高畠民俗資料館で開催されました。 佐藤治一さん原作、前教育長、ソバ打ち名人佐藤征治さんが腕を振るった青鬼農園ソバとリンゴシードルが待ち受けた交流会は、共生塾の収穫祭となりました。 シードルは早稲田環境塾の吉川成美さんの努力で実現したトヨタ財団2016年度国内助成プログラム「心を耕す」、」たかはた共生塾プロジェクト―原発風評被害の克服と提携による「未来の担い手創造」の具体的な成果の一つです。他に高畠高校での連続講座ふる里発見ビデオ制作、発表会、統合中学での学校農園の開設など独自性と創造性に富んだ試みは 多くの方々、とりわけ資金を支援していただいたトヨタ財団から高い評価を得ています。 たかはた、東京共生塾の皆さんの不撓不屈の意志と豊かな感性は明日への一筋の希望の道を指し示しています。 12月19日(月)、恵比須のカフェ 「クレープリール・」コントワール」を借り切り、東京版青鬼ソバのガレットと高畠シードルの大パーティを催します。皆さんの参加を歓迎します。 「シードルについて」 本来はイングリット・バーグマン、ハンフリー・ボガード主演映画の名シーンに登場するカルバドス(仏ブルターニュ―地方の荒酒)の製造を目指しています。いまのところシードル(アルコール度8%)にとどめました。比類ない最高品質(ほとんどワインのテイスト)のシードルづくりに成功しました。 cidreとはスペルの如く「サイダー」のフランス語版です。

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