たかはた共生プロジェクト

プロジェクトに到る経緯

有機無農薬農法と生産者、消費者提携の原点、高畠町有機農業研究会[1973年発足]の活動を起点に、持続可能な地域社会の原型(proto-type)を学ぶため、早稲田環境塾の前身である早稲田大学大学院アジア太平洋研究科「環境と持続可能な発展ゼミ」(1998~2008)のフィールドワークを引き継いで活動している。

毎日新聞の戦後50年特集社説(1994年8月8日付)「宮澤賢治の理想を求め」―まほろばの里に共生する農」(筆者は原剛論説委員、現早稲田環境塾長)に始まり、日中環境ジャーナリストNGO交流シンポジウム(2008年)、日中韓環境ジャーナリスト・NGO交流シンポジウム(2009年)などの高畠での開催、フィールドワークを経て、早稲田環境塾に到る間、有機農研から展開した高畠共生塾員たちとの交流を継続してきた(2008~2015)。この間,相当数の早稲田環境塾の塾生が、援農作業をともなうたかはた共生塾の「まほろば農学校」へ参加した。

キーパーソン星寛治氏に代表される有機無農薬農法の実践とその試みを支えた生産者・消費者提携から、食と農、地域社会ひいては日本社会の持続可能な原型像への手掛かりをつかみ、和田集落を中心とするたかはた共生塾の活動との協働をとおして持続可能な地域社会の原型を塾は探求してきた。

たかはた共生塾の歴史的な意義と課題

高畠有機農業研究会の青年たちの無農薬農法は、当初高価な農機具購入のための出稼ぎを拒否する自給農業への試みにあった。同時に有機農法の祖、一楽照雄の直接指導を受け、高度成長経済の農業版政策、農業基本法農政(農地の規模拡大ともうかる作目への転換、化学肥料、農薬の多投による単収増)とは真逆を指向する、いわば反近代農法の反旗を翻す結果となった。全国総合開発計画政策下で産業公害 (四大公害、都市の光化学スモッグ、農村の土壌、作物の農薬汚染など) が激発する世相に対抗することとなり、作家有吉佐和子の「複合汚染」(1974年朝日新聞朝刊連載)により、その取材現場である有機農研の試みは時代の脚光を浴びる。

技術や資本を外部から導入する途上国型の「外来型社会発展」に対し、たかはた共生塾は伝統文化に改革を重ね、経済発展を手段とし、人間の成長を目的とするヨーロッパ型の「内発的社会発展」を指向することになる。明治44年(1911年)、和歌山市での夏目漱石の講演「現代日本の開化」(「内発的発展と外発的発展」)に連なる問題意識である。高畠出身の経済学者、早大教授大塚勝夫は、生家の土地と家屋を提供、内発的発展教育を目指すセミナーハウス「屋代村塾」(1994年)を創設し、多くの学生を教育してきた。

草木塔を訪れた第二期塾生たち

草木塔を訪れた第二期塾生たち

第二期塾の会場。築300年の高畠民俗資料館

第二期塾の会場。築300年の高畠民俗資料館

原発風評被害の克復と新たな生消提携へ

2011年3月東日本大震災と東電原発メルトダウン事故とが連動して発生した。

奥羽山脈で原発から85㌔隔たった高畠へ、隣接する汚染ホットスポットの福島市から約500人が避難、2015年9月現在なお100余名がとどまっている。たかはた共生塾の農民たちは放射性物質による農産物の、風評被害により、40年余にわたる都市民との生消提携関係を破壊された。

この事態に直面し、高畠の農家と早稲田環境塾が協働する「たかはた共生プロジェクト」(共同代表 高畠:星寛治・東京:原剛、共同副代表 高畠:中川信幸・東京:吉川成美)は、2013年4月から風評被害の克服と新たな形の生消提携を目指す「青鬼クラブ」を発足させた。皇居堀端の毎日新聞東京本社「毎日メディアカフェ」で高畠の四季の農産物を即売し、並行して開催される食と農の言論空間、「青鬼サロン」を開催している。https://www.facebook.com/aoonisalon

新聞社からネット発信している。http://mainichimediacafe.jp/news/77/

「たかはた共生プロジェクト」は2015年4月から、トヨタ財団の「未来の担い手と創造する新しいコミュニティプログラム」の助成を得て活動の幅を広げている。

その核心は自然、人間、文化の環境3要素を結び合わせ、農業者、都市民の協働により持続可能な地域社会の発展モデルを探究することである。

毎日新聞東京本社一階 MOTTAINAI STATIONで開催される「青鬼サロン」展示即売会

毎日新聞東京本社一階 MOTTAINAI STATIONで開催される「青鬼サロン」展示即売会

青鬼サロンで講演、討論会立教大学経済学部(吉川ゼミ生)との討論

 

 

 

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