青鬼サロンの動き

2014年4月17日 第1回青鬼サロン

毎日新聞東京本社のMOTTAINAI STATIONに都市と農村の新しい提携を目指す「たかはた共生プロジェクト・青鬼サロン」が発足しました。http://mainichimediacafe.jp/news/77/

https://www.facebook.com/aoonisalon

3・11事件を契機に食と農、都市と農村の持続可能な関係を創ることを目的に、早稲田大学早稲田環境学研究所と毎日新聞社が協働する斬新な試みです。
重要なことは、サロン発の情報がリアルタイムで新聞社のネットから発信されることです。
農産物に限らずツーリズム、教育、ライフスタイルの変革などの可能性をとらえていきたいと願っています。
第1回サロンには、早朝5時高畠を車で出発した共生塾顧問の星寛治さん、塾長の中川信二さんら8人の農民が参加し、米、リンゴ、ワイン、みそ、シイタケなど有機無農薬農法で栽培、加工された品々を午前10時から展示、青鬼クラブの東京側会員が売り手となり販売、午後早くに完売しました。
並行してサロンでは立教大経済学部の吉川ゼミ(2012年当時)の学生ら、満員の聴衆が集い、2時から5時まで講演と討論が行われました。星さんが「今、都市と農村をつなぐ”提携“とは何か」「高畠の原風景、青鬼はどこへ行ったのか」(司会吉川成美立教大講師、早稲田環境学研究所次席研究員)のテーマで講演、終了後のビールパーティも満席の賑わいでした。

5月22日 第2回青鬼サロン

講演 「星寛治の心をたどる たぎる詩魂の軌跡―宮沢賢治と真壁仁」。星さんは五篇の詩を朗読しました。
宮沢賢治「林と思想」「松の針」、真壁仁「峠」「原風景」。自作の詩「吉里吉里人に捧げる みちのくのシルクロード」では「大宛の汗血馬」に託して、「北上の草原を風のように駆け、征夷の大軍を迎え打つ 土着の民の底力」を讃えました。

2014年6月19日 第3回青鬼サロン

課題は「まほろばの里高畠への旅」―イザベラ・バードの旅路と原風景。
西南戦争の翌年、1878年(明治11年)7月12日、英国の高名な女性旅行家イザベラ・バード(当時46才)が険しいい峠道を馬で乗り越え、新潟県から山形県小国町にたどりつきました。バードは高畠が位置する米沢平野の自然と人に営みの「気高い美しさ」に心を奪われ、欧州の人々が憧れる楽園エデンの園、アルカディアと絶賛しました。今から136年の昔、近代化以前のこの地の夏の日に、バードは何を見たのでしょうか。
7年連続日本の原風景を訪ね、毎日新聞に1頁の連載「新日本の風景」(2014年日本新聞協会広告賞受賞)をコンビで取材している原剛塾長と写真家の佐藤充男塾生が、JR東日本の薬師晃広報部長を交え、現代の旅の意義を語り合いました。

2014年7月17日 第4回青鬼サロン

講師は社会学の第一人者、栗原彬立教大学名誉教授。高畠町和田の見渡す限り田んぼが連なる集落のはずれに、栗原教授が寄贈した蔵書6万冊を所蔵する「たかはた文庫」があります。閲覧室コーナーをゆっくり備えた開架式の木造図書館です。
「読書とは、生きづらい状況の中で、大切な他者と共に、生き続けるための宇宙を育てること」。(そのことによって、状況を組み替えることもあれば、身振りを養うことも)。
「読書とは、世界と自分を変える身体行動」である。教授はたかはた文庫に寄せる想いを語りました。

2014年8月28日 第5回青鬼サロン

「心を深く、温かく耕す 広介童話の現在」
がテーマ。講師は浜田広介記念館の鈴木征治理事長と日本児童文芸家協会顧問の岡信子さん。
広介は奥羽山脈の懐深く、雄大、繊細な山里風景と草木塔に代表される”祈りの里“
に培われ数々の名作を著します。自身の挫折と再生の心の遍路を映した数々の童話は、愛と善意の尊さを訴えてやみません。
鈴木理事長は講演「童話一筋に生きた浜田広介」で広介の生涯を克明にたどりました。関信子先生は[広介童話の優しさ、その真髄」をテーマに、広介を現代に読み解きました。
奥羽山脈の東側は福島です。今も150人余が山脈を越えて高畠に避難しています。お二人の話は心に染み入りました。

2014年9月18日 第6回青鬼サロン

「地域との『提携』を考える」ーまほろば農学校・たかはた共生塾の20年が課題です。
・「共生塾とまほろばの里学校の20年」星寛治たかはた共生塾共同代表
・「有機農業の広がりと地域活動―現状と課題」 たかはた共生塾塾長中川信行
・地域との共生事例紹介 フランスのオーガニック食環境(AMAP)石井幸子(青鬼クラブ会員)
・イギリスで垣間見たCSAとドイツでの動き 吉川直子(青鬼クラブ会員)

たかはた共生塾の理想は2015年現在どこまで実現されているのでしょうか。鈴木久蔵初代会長は「たかはた共生塾は新しい地域づくりと、人間の生き方を探る場として平成2年に発足した塾である。都市と農村との提携、自然と共に生きる暮らしのあり方を地域の中に広げるとともに、新たな生活の原理を都市に送り出すことを一つの使命と考えて活動している。今こそ都会の人々に新鮮な野菜ばかりでなく、心の糧こそ贈らねばならない時であろう」と語っています。
青鬼サロンは鈴木氏の志を多とし、継承していきます。

青鬼サロン 青鬼クラブの由来

高畠出身の童話作家、浜田広介の名作「泣いた赤鬼」の友達・青鬼の心に思いを馳せる「この指とまれ」の集いです。
人間が好きで、村里に近寄りたいのですが、その一見乱暴者風情が恐れられ、里の人々から相手にしてもらえない赤鬼。友達・青鬼のアイディアで、人里で「乱暴する青鬼。とっちめる赤鬼」の芝居に成功、赤鬼は人々に迎え入れられます。
しかし、赤鬼が喜び訪ねた青鬼の戸口には、芝居が露呈することに配慮した、もう「オ目ニカカレマセン」の書置きが。
「ボクハ コレカラ タビニ デル コトニ シマシタ。ナガイナガイ タビニ ナルカモシレマセン。ケレドモ ボクハ イツデモ キミヲ ワスレマスマイ。ドコカデ マタ モ アウ 日ガ アルカモ シレマセン。サヨウナラ、キミ、カラダヲ ダイジニシテ クダサイ。ドコマデモ キミノ トモダチ    アオオニ

赤鬼は芝居を提案した時の青鬼の言葉を思い出し泣きます。
「なにか一つの、めぼしいことをやり遂げるには、きっと、どこかで、痛い思いか、損をしなくちゃならないさ。だれかが、犠牲に、身代わりに、なるのでなくちゃ、できないさ。」

青鬼サロンと青鬼クラブは、3・11によって露呈した社会の行方を憂慮し、ささやかな形ではありますが、世直しを志す市民の集いです。「めぼしいことをやりとげるための犠牲」には遠く及びもつきませんが、青鬼の心意気に憧れを抱いています。青鬼に寄せるイメージは人さまざまでしょうが、私達誰もが今ある自分の背後に、青鬼的支えを共有しているのではないでしょうか。大学、新聞社とつながりを持つのは、その目的を広く社会と共有したいからです。
広介は39才の時、訪れた高野山金剛峯寺にある不動堂で、運慶の作八大童子の喜びをめぐむという名の恵喜童子に対面(宝物の虫干しで外に出されていた)。「ココロノ ヤサシイ オニ」を着想したと記しています。

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