『京都環境学 宗教性とエコロジー』

東京新聞“今週の本棚”「自著を語る」(2013年4月30日夕刊)早稲田環境塾叢書

原発事故、神仏はどう語る。

文化としての環境日本学の創成を目指す早稲田環境塾の第2叢書として本書を編集した。

編者は1962年からこの方、ジャーナリスト、学徒として世界と日本の環境問題の現場と国際会議を取材し、キーパーソンへのインタビューを重ねてきた、それらの経験に基づき、この書題にたどり着いた。

日本の神々と仏が、現代に環境思想を語るならば、どのような言葉を用い、歴史的に裏付けるだろうか。

菅原信海妙法院門跡門主は、自然に存在するもの総てに仏性がある、とする天台教学を万葉集の額田王の歌と宮沢賢治の聖地感覚から紹介する。鞍馬寺の信楽香仁貫主は「自然の姿が仏教経典の総てである」と説く。鞍馬寺では生態学者が自然環境を解説し、国宝の仏像群と動植物の標本がともに展示されている。

嵯峨井健下賀茂神社禰宜、貴船神社の高井和大宮司は「初めに自然ありき。その中に神はあった」と語る。法然院の梶田真章貫主は、先祖教に変質した「日本人の宗教心」を、寛永寺圓珠院の杉谷義純住職は、良源の「草木成仏説」に由来する「草木国土悉皆成仏」の思想を説明している。

これら神仏の教えの大要は、既に水俣の人々が苦悩の果てに自らつむぎだした言葉と行動によって、暮らしの現場で実践され、祈願されていると編者は考える。漁師緒方正人さんは、激烈な闘争の果てに「何かを見てしまい」、「私もまたもう一人のチッソである」と1994年、患者17人と「本願の会」の結成に到る。原発事故と日本社会との係わり方に、水俣病事件と同様の軌跡を見ていると緒方さんは、社会体制転換の革命と違って、もっと本質的な意味での「文明の革命」への胎動を鋭く予感している。

作家石牟礼道子さんはインタビュー「空しさを礼拝するわれら」で、水俣病患者を「観音様か菩薩様」と思い続けてきた自身の精神史を明かす。

環境問題を介して現代における宗教性の、リアルなありように形を与え、文化の基層への共感に基づく実践への動機を生みだすことが塾と本書の目的である。(藤原書店・2100円)

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